1999年6月末で完全リタイァしました。
第1の職場が 入社講習中に結核で療養を要することとなり、採用留保 正式入社 が1955年7月1日となった為、正味丁度44年の勤務でした。 最初は日本最古の都市銀行へ、病欠・入退院を繰り返しながら 中間と最後が本店、 あとはどさ廻りの地方支店の代表など、単身赴任も3ヶ店、48歳を迎える前に 斡旋で第2の職場へ、土建屋の営業担当で平、役員、顧問、非常勤と16年余 合計の数字です。御年?(^_^;)テヘヘ 67歳手前で、自由の身となりました。
最終段階で年俸手取り給与も順次減り、極めて楽なソフトランディングでした。 気負いも新たな決意もなく、特に非常勤勤務の壱年間をそのままの日々でスタート ラッキーでした。 退職2日前を最後の出社とし、社内の偉いさんや仲間にゆっくり挨拶は済ませた。 この日、特にかみさんが可愛がっていた猫が亡くなったのが、残念でした。 29日は第2の職場の大学同窓生、41歳若い入社早々の若いのまでで8名 送別会 をやって呉れました。
6月30日は昼は庭やプランターに家人が友達から貰った南京豆を植えて、、 午後は 掛かり付けの病院に薬を貰いにとスタートとエンドが健康に関係している のが、私らしいです。 夕食は家で家内と娘が手作りのご馳走を、( ^_^)/□☆□\(^_^ )カンパ-イ! 「ご苦労さま!」で、ホッと且つ本当に「おかげ様で」勤めあげられました。(^^)V
パソコンはFメロウで、オフも楽しんでいましたし、書道や料理教室と稽古ごと もあれこれ 出かける先も当面は多く、時間を持て余すことはありませんでした。 バブル最盛期に浮かれて買った 冨士が 桧の大風呂 から真正面に見える結構な マンションを持っており、ようやく買値の5分の1以下で2002年4月に売れる まで、苦しい算段でしたが、管理も兼ね 年に30泊ほど心身を休めることができ、 幸せでした。
私の出納長から当時の支出を・・・今とあまり変わらない物価です。 第1の職場 の卒業生会から お祝い 30.000円 スポーツシューズ 19.740 一寸贅沢? 和賀仙人さん 送別オフ 8.000円 小田急新宿迄の回数券 11枚 1800円 今も変わらずです。 JR山手線回数券? 160円×11枚=1600円 文庫本 単行本・など 5.145円 図書券何時も 金券ショップ購入で 4850円 担当医に中元 4.725円、 携帯ラジオ 11.760円 前出の送別会費7,000 年金暮らしになるので割り勘を 強制でやってもらった。 病院薬代 7.190円 散髪(掛かりつけ日比谷公会堂内)2.500円 ささやかなもの。
平々凡々とも、凄い結構な御身分とも、でも当人には 心身と経済的にも大変だった 筆舌に尽きざる内実の 44年間でした。
オアシス
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