画像サイズ: 383×510 (56kB) | 今回は佐倉茶の「小川園」である。明治ご維新はたしかによい面も多かったろうが、武士の大量失業は各藩の一大事であったことも見逃せない。当佐倉藩でも盛んな起業が行なわれたが、茶業もその一つだった。
小川園さんのパンフレットにも、重臣の倉次 亨(クラナミトオル)と云うものが、茶の栽培を始めたことが書かれている。22人の同志が、佐倉同協社という会社をつくった。
その後絶え間のない研究の結果、明治8年には初めての茶摘を行い、46貫目もの収穫を上げることができた。事業は順調に進み、翌9年には早くもアメリカのニューヨークへ輸出するまでになった。
茶畑も次第に拡張し、一時は総面積180ヘクタール、収量1200トンという驚異的な数字を記録している。☆
同協社によるこの事業は大正の9年までつづき、この時点で解散した。小川園は初代の小川長太郎氏が、この佐倉茶の伝統を引き継ぎ、明治45年に創業。今日に至っている。なお、現社長は3代目の勝寛氏である。
店舗は最初、佐倉市の新町につくり、平成の4年になって、本社を城内町に移転した。店舗数は、本店を除き7店舗を数える。また、本店と同じ場所に「うぃんける佐倉★」、商品センターがある。
製茶は現在、他に委託しているが、佐倉茶の発祥地、同市飯野町にある自社の所有する茶畑で、伝統ある佐倉茶の復活をめざして、独自に栽培を始めている。
★ここでは、お茶に限らず、佐倉の名産品を自由に買い求めることができる。
写真は、新町にある小川園、本店の社屋である。
☆ この項、主として「佐倉市郷土の先覚者 倉次 亨」を参照。 |