韓国慶州のホテルからです。
さて 罪と罰 もはや古典的な小説となりましたが 一度は読んでみたい作品です。
金貸し老婆は社会的にはなくてよい存在 その金はもっと有意義に使われるべきである つまり将来性のある自分のような大学生が使ったほうが社会的にためになる とそう考えた主人公のラスコリーニコフは 老婆を完全犯罪のごとくに殺してしまう。 警察も犯人は分からない。
だが神様はわなをかけた。 老婆の殺人現場にもう一人の目撃者がいたため その目撃者の女も殺してしまう。(彼にしたら想定外の余計な殺人) 老婆一人の殺人なら主人公も何の迷いもなかったろう。 しかし 何の関係もない人間を一人また殺してしまったことに 気になったのだろう。 彼が自白しなければ完全犯罪で分からなかったのに とうとう最後に、あれは自分のしたことと言ってしまった。
どうして彼は自分から自白するようなことをしたのだろう。 なんとなく心の奥底に自分の殺人行為は悪いことだったという意識があって それをぬぐいされなかったのだろう。 彼に反省をうながしたのは社会的に弱い存在の女ソーニャだった。 彼女は地位も金もなく、むしろ下層階級に位置するような女だった。 かえって、そういう人間に、つい本当のことを言いたくなるものなのである。
カウンセリングでも 学識経験豊富な、社会的地位もある立派なカウンセラーには なかなか本当のことは言いにくい。 カウンセラーがその反対の社会的地位も権力もないような存在なら かえって本当のことほ言いやすいのであろうか。
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