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[No.220] 空港での見送り 投稿者:Pan  投稿日:2010/12/15(Wed) 23:58
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こんばんは。

 海外旅行が珍しかった頃、従兄弟がアメリカへ行ったときには、神戸から羽田までわざわざ見送りに行きました。 昭和30年代後半だったと思います。

 送迎台に出て待っていると、すぐ目の前の飛行機の前で並んで写真を撮った後、手を振りながらタラップへ上がって行きました。

 窓の中で手を振っているのも見えましたが、誰か判りません。 こちらも手を振って飛行機が飛んで見えなくなるまで見送りました。

 今は素っ気ないですね。

      ***** Pan *****


[No.222] Re: 空港での見送り 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/16(Thu) 05:55
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Re: 空港での見送り
画像サイズ: 457×299 (19kB)
>  送迎台に出て待っていると、すぐ目の前の飛行機の前で並んで写真を撮った後、手を振りながらタラップへ上がって行きました。

Panさん   こんにちは

中国旅行をすると
よく とんでもないところに飛行機が止まって
乗るときは、飛行場の待合室からそこまでバスで運ばれたり
あるいは
滑走路のはずれに止まった飛行機から降りて
そこに飛行場行きのバスが来るのを待ちます。

そういうわけで何度か
乗客が階段を上って飛行機に中に入っていく場面や
グループで飛行機を背景に写真をとりあっている場面に遭遇しました。
 どこかにかにそういう写真をしまっておいたはずですが。

キルギス国に着いたとき
我々の乗ったモスクワ行きのその飛行機を写そうとしたら
警官が飛んできて止められました。
まだソ連時代のなごりが残っていたのです。 1999.7のことでしたが。


[No.225] Re: 空港での見送り 投稿者:   投稿日:2010/12/16(Thu) 17:42
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Pan さん みなさん こんばんは。
>
>  海外旅行が珍しかった頃、従兄弟がアメリカへ行ったときには、神戸から羽田までわざわざ見送りに行きました。 昭和30年代後半だったと思います。

わたしが初めて出張で渡米した昭和46年でもそんな状態でしたよ
羽田から出発のときの見送りも帰国のときの出迎えも十数人が入出国ゲートと送迎デッキまで来てくれました。空港へ送迎に行くこと自体が珍しくてハレの行事だった時代でしたね

帰国のときはNYで買った黄色いカラーシャツを着て帰ったら出迎えた連中がオオッ〜
!というような驚きの眼で見ていました。当時は芸能界は別として堅気のサラリーマンがカラーシャツを着るなんてないころでデパートのYシャツ売場でも白しかありませんでした。

この年はニクソンショック(8/15)で経済大変動の時で永らく1ドル=360円で、1メートル=3.28フィート のように決まったものだと信じていたので、いきなり初めての渡米でこれが毎日変動するのに驚き、初めて”戦後は終わった”と実感した経験でした


      さんらく亭@甲子園


[No.226] Re: 空港での見送り 投稿者:   投稿日:2010/12/16(Thu) 17:58
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Panさん さんらく亭さん みなさん

 そうですね。当時は「洋行」という言葉があったくらいです。

 会社の人が海外出張すると「お餞別」を渡したりしたのですから。

 それと、当時は、大手旅行会社では「旅行説明会」が頻繁に開催されました。

 「パスポートや税関」のような手続きに関することばかりでなく
 「洋食の食べ方(ナイフは外側から使う)」とか「水洗トイレ」の使い方まで
 大真面目で勉強されたようでした。


[No.227] Re: 空港での見送り 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/16(Thu) 19:24
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Panさん さんらく亭さん マーチャン

当時はなかなか外国には行かれませんでした。
私がお世話になった、もう亡くなった農学部の先生の話です。

昭和43(1968)年10月12日のロンドンの夕方のことです。
推定ではK先生は当時53歳。この時文部省在外研究員として3カ月の
世界一周の旅行中の出来事でした。

いっけん親切そうな英国紳士が現れて
ロンドンをガイドしてくれます。

カメラをもっているK先生に、さも親切そうに、ここがいいとか
あそこがいいと言って写真のポイントを示します。
 ビッグベンを写し、ウェストミンスター寺院を見て、国会議事堂前を流れる
 テームズ川に架かるランベス橋を渡ります。中央の欄干から議事堂を背面にとり、
 最後に残った写真は、橋を渡って川のそばの遊歩道に入り、左に折れた所から
 議事堂の背面を川の面に入れて写した夕景だった。

 もう薄暗くなっていたが議事堂の建物が夕景をバックにして鮮明なシルエツトを
 現わして絶好な写真になると思われた。

 実はここが都会の穴だった。川のふちには堤防があり、遊歩道は
 大きな石の舗道であり、低い場所になっている。その外側には更に大きい土手が
 あった。その上に並木があり、病院があった。

 結局このテームズ河畔の遊歩道
 は病院裏の空き地に相当し、暗くなると人一人通らない。土手の上の並木の向こう
 ではバス、乗用車が通り、人も歩いている。

 そんな場所でイギリス紳士のガイドは最後の写真をとらせたのであった。

とり終わって振り返ると、もうフィルムはないのかと彼はK先生に聞きました。

K先生が終わりであると告げると、紳士の態度は全く別人に変わりました。
K先生の言葉を借りると、今までの好々爺ぶりは全くなくなり、ステッキは
ゲバ棒に見えてきたそうです。

次の言葉は、案内料12ポンド(1万2千円也)
を要求するといったのだそうです。
 コワイですね。 K先生は無事帰ってきたからよかったものの。

私が大学に入学してから
ドイツ留学を終えたばかりの新進気鋭の助教授の講演を広い講義室で聞きました。
この先生の場合はドイツ政府の奨学金で留学したので
比較的スムーズだったようです。
ドイツまで南回りの飛行機で行ったのです。

それにしても
どちらの先生も行き先の国々のビザはあらかじめとらないといけないし
自分の希望だけでは行かれないので
しかるべき理由を述べて、それが正当であると判定されたときだけビザが発行されました。
あと外貨の問題もありました。
今みたいに好きなだけ持ち出せませんでした。


[No.231] Re: 空港での見送り 投稿者:小机  投稿日:2010/12/18(Sat) 20:14
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Panさん、みなさん、こんばんは、

>  海外旅行が珍しかった頃、従兄弟がアメリカへ行ったときには、神戸から羽田までわざわざ見送りに行きました。 昭和30年代後半だったと思います。
>
>  送迎台に出て待っていると、すぐ目の前の飛行機の前で並んで写真を撮った後、手を振りながらタラップへ上がって行きました。
>
>  窓の中で手を振っているのも見えましたが、誰か判りません。 こちらも手を振って飛行機が飛んで見えなくなるまで見送りました。
>
>  今は素っ気ないですね。

 もはや戦後ではないって言われた頃でも、まだやってましたね。
出国ゲートを出たあとも、小さな孔の沢山明いたアクリルの板で
仕切られた部屋が、名残を惜しむ人達のために有りました。
まるで被疑者と弁護人の面会室みたいでしたけど。

いつも搭乗ゲートまで走っていた小机