あなたの戦後は?
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[No.227] Re: 空港での見送り 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/16(Thu) 19:24
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Panさん さんらく亭さん マーチャン

当時はなかなか外国には行かれませんでした。
私がお世話になった、もう亡くなった農学部の先生の話です。

昭和43(1968)年10月12日のロンドンの夕方のことです。
推定ではK先生は当時53歳。この時文部省在外研究員として3カ月の
世界一周の旅行中の出来事でした。

いっけん親切そうな英国紳士が現れて
ロンドンをガイドしてくれます。

カメラをもっているK先生に、さも親切そうに、ここがいいとか
あそこがいいと言って写真のポイントを示します。
 ビッグベンを写し、ウェストミンスター寺院を見て、国会議事堂前を流れる
 テームズ川に架かるランベス橋を渡ります。中央の欄干から議事堂を背面にとり、
 最後に残った写真は、橋を渡って川のそばの遊歩道に入り、左に折れた所から
 議事堂の背面を川の面に入れて写した夕景だった。

 もう薄暗くなっていたが議事堂の建物が夕景をバックにして鮮明なシルエツトを
 現わして絶好な写真になると思われた。

 実はここが都会の穴だった。川のふちには堤防があり、遊歩道は
 大きな石の舗道であり、低い場所になっている。その外側には更に大きい土手が
 あった。その上に並木があり、病院があった。

 結局このテームズ河畔の遊歩道
 は病院裏の空き地に相当し、暗くなると人一人通らない。土手の上の並木の向こう
 ではバス、乗用車が通り、人も歩いている。

 そんな場所でイギリス紳士のガイドは最後の写真をとらせたのであった。

とり終わって振り返ると、もうフィルムはないのかと彼はK先生に聞きました。

K先生が終わりであると告げると、紳士の態度は全く別人に変わりました。
K先生の言葉を借りると、今までの好々爺ぶりは全くなくなり、ステッキは
ゲバ棒に見えてきたそうです。

次の言葉は、案内料12ポンド(1万2千円也)
を要求するといったのだそうです。
 コワイですね。 K先生は無事帰ってきたからよかったものの。

私が大学に入学してから
ドイツ留学を終えたばかりの新進気鋭の助教授の講演を広い講義室で聞きました。
この先生の場合はドイツ政府の奨学金で留学したので
比較的スムーズだったようです。
ドイツまで南回りの飛行機で行ったのです。

それにしても
どちらの先生も行き先の国々のビザはあらかじめとらないといけないし
自分の希望だけでは行かれないので
しかるべき理由を述べて、それが正当であると判定されたときだけビザが発行されました。
あと外貨の問題もありました。
今みたいに好きなだけ持ち出せませんでした。


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