画像サイズ: 324×340 (69kB) | あっしが、一番さいしょに入社した会社が船に関連した会社の割には構造的な面にあまり興味が湧かなかった。そのかわり、周縁的なものには、なにか惹かれた。
例えば、船首像であるが、これは英語ではフィギュア・ヘッドというらしい。田辺穣さんというかたが、もう35年も前に同名のタイトルをもつ小型本を出しておられる。
小冊子ながらこの本が実に面白い。船は丈夫で、軽量で速くさえあればいいようなもんだが、人間というのはこんな細かいところにも愛情を注ぐのかと、感動しきりである。
もともと、板っこ一枚下は地獄と云われた荒海に出て行くので、命の保証はない。だが、本人も家族も、安全な航海を願わないものはない。そこで考え出されたのがこの船首像で、云ってみれば、これは一種の守り神である。
あっしなぞは、船首像と云われるとつい、優雅な婦人像を思い浮かべたりしがちだが、像はなにも人間に限ったことはない。猛々しい海の神の怒りを鎮めるためには、ワシや獅子も動員される。
ところが、これが獅子や人間だけ思うと、これが大間違いなのだ。提灯アンコウなんぞはまさか、出てきたりはしないが、意外とバライエティに富んでいる。猛獣、猛禽類は云うに及ばず、人間でも、これが聖人なら、恐れて悪さをしないとでも思うのか、竜を踏みつけるサン・ミゲルなんてのもあれば、国王、女王、イギリスだと提督なんかもケッコウ出番が多い。
あっしが、ちょっと奇異に感じたのは、モーツアルトの像。これはたしか、ワインやビールの醸造には、いまや、欠かせないものになっているらしいが、荒海を航海する時にも、効験を現すのだろうか。また、婦人像だが、これにも、いろいろあり、その服装もまちまち。あっしから見ると、不思議な像のひとつに、ナイチンゲールなんてのもある。彼女の場合は船に乗り込むより、むしろ陸で待機していて、溺れたものの出たときなど、陸で得意の看護活動に従事した方が、むしろ、ふさわしいような気がする。
中には、一般人の目に触れない船首なぞに付けるより、どこかの国立美術館にでも置いた方が、喜ばれそうな芸術作品さえあるのだ。人種もいろいろで、インディアンがいるかと思えば、いま話題沸騰の、サラセン人(イスラーム教徒)の勇士像なども。
海鳥やブルドッグ、ペガサス(天馬)、これはふつう空を飛ぶのが仕事のはず。こうしたところに付けるのもいいが、もし天馬が、本来の任務に目覚め、天翔ったりしたらいったい、どうなる。その時になってあわてても、時すでに遅いのである。
また、自らの出自を誇るつもりか、船首に、立派な盾や紋章を取り付けて悦に入っている不届き者も相当数あったらしい。(^^♪
さて、わが日本にも船首像があっただろうか。あったのである。
神戸商船大学の海事資料館にある『朝顔丸』★のフィギュアヘッドは、青っぽい婦人像である。大きさは、高さが、130センチあるそうである。
やがて、帆船の時代がおわり、汽船の時代に入ると、船首像は付けられなくなり、世人にも次第に忘れられて行った。
もちろん、汽船の時代になってもしばらくは、姿かたち、大きさなどを変えて、しばらくは続いたという。
★ 同船は、1889年イギリスで建造、日露戦争の際、旅順港の戦いで、港湾封鎖のため、無理やり自沈させられた。その際、フィギュアヘッドはあらかじめ、取り外され保存された。
つづき。なお、現在、東京の国立博物館に保存されているエラスムス像は、残念ながら、船首像でなく、考証の結果、船尾像であった。本船は、1598年オランダで建造した「エラスムス号」。これは16世紀なので、かなり古いものといえる。
船尾像については、この例外を除いて、ほとんどが面白みに欠けるので、割愛することにした。(おわり)
添付写真は、第四回内国博覧会で褒賞を貰った、農機具の柏屋の『引札』。船首に店の主人らしい人物が、めでたいツルに乗り、誇らしげに萬歳の旗を掲げている。これは、日本初の船首像の絵、と云えるのではないか。
参考図書: 京都書院版 田村コレクション「引札」 平凡社カラー新書 田辺穣「船首像」 |