画像サイズ: 560×403 (54kB) | あっしは何度も云うように、浅学菲才で、この年までライという、けものが、この世に存在することを知らなかった。けさ、武田泰淳夫人、百合子さんの「遊覧日記」を(読むというより)眺めていたら、その、けものが出てきて、大いにタジロイダ。
いたのである、そのライが。「遊覧日記」という本のページのかげに隠れていたのだ。とはいうものの、そのライがひそかにこちらの様子をうかがっていたり、また、今にも飛びかかろうと身構えていた訳でもないのだから、読者諸氏よ、まずはご安心召されよ。と申し上げたい。(歯、歯、歯、歯。)このところ、王子先生の受け売りでやんす。(^O^)/
だいぶ勿体を付けてしまったが、同書の巻頭「浅草蚤の市」というところを読んでの感想である。
なんでも、彼女は夫の泰淳氏に死なれて、急に寂寥の念に襲われたのか、『遊覧』と称して、娘と連れだったり、一人だったりこれはその時の気持ち次第だが、処々方々へ出かけるようになった。
蚤の市には、例の頼朝公13歳の時の頭蓋骨ほど珍しいものは勿論なかったが、あっしらでも、つい近寄って、仔細に眺めたりしたくなるようなものが、たくさん置いてあったらしい。
入っていくと、そこを仕切っていた、「露店界の大御所」と云った感じの、六十がらみで「ちょっと凄みのきいた」おじさんが、しきりと高価な陳列品を売りつける。いずれも数十万という高額だが、気がありそうだとみるとすぐ、半額に下げたりする。
ところで、百合子さんが目を付けたのは、売り場のド真ん中にあった大きなオスのライオンで、シロクマなんかよりずっと見栄えがする。ところが、奇態にも、このライオン、からだの前半分しかない、
尋ねてみると、虫に食われて後ろ半分がダメになった。そこで、後ろ半分は、泣く泣くあきらめた。つまり、その時点で、元ライオンが、オンとおさらばして、ライになってしまったわけだ。おじさんは、それでも売って見せると、身軽になったライを檻に入れ、壁には大平原を描いてさあ、どうだと、攻勢に出たらしい。百合子さんは、あっしと似たり 寄ったりで、よっぽどヒマなのか、その後なんども、おじさんの許を訪ねている。
もっとも、無責任な冷やかし客だから、ライだけでなく、シロクマやパンダ、トラなども見て回る。
カナダで手に入れたというシロクマは、買い手が付いて売れたらしい。ほかでも、最初のころと比べてずいぶん展示品が少なくなっていたらしが、あっしはこれは売れたんじゃ なく、はく製は高価だし傷みやすいので、止めたんだと思う。いかに金持ちが多いとしても、100万や200万のものがそう、バンバン売れるわけがない。
ライのことは、何度目かの訪問の記事に、まだ売れ残っていたと書いてあった。それはそうだろう。虎は死しても、ではないが、残した皮が完全だからこそ、人間どもが珍重するのだ。これが、虫食いだったりしていては、だれも見向きもしないに決まっている。つまり、ライオンだから売れもするが、半分のライでは…。その後はわざわざ云うまでもあるまい。
この市は、百合子さんの説明によると、どうやら大テントの下でやっているようだ。つまり、浅草の(たぶん六区と思われる)この地域では、いまビルの取り壊し工事が進んでいる最中で、この市は、新しいビルの出来上がるまでの、短い命ということになる。 そこで、チョット気になった箇所があった。再開発後のことを彼女は、再開発後の浅草は「巨大な便所のような高層ビル」にかわると嘆いているが、あっしの亡父も、最新式のビルについて、ちょうど同じようなことを云っていたのだ。ただ、父の場合は、便所でなくそれが、コンクリート製のゴミ箱だったような気がする。 終わり
ま、この人の筆に掛かると、この話に限らず、なんでも急に新鮮味を増し、フシギナ色合いを帯びてしまう。評論家の巌谷国士さんが、彼女に最大の賛辞を奉げるのにも無理は無い。 |