むかし天竺にウサギとサルとキツネがいた。 三匹は前世の罪でこのような賤しい姿に生まれ変わったことを嘆き 来世ではそのようなことにならないよう、まじめに菩薩道を行っていた。 これを見た帝釈天が、彼らはどこまで菩薩道を行っているのか試そうとした。 帝釈天は一人の翁に変身すると三匹の前に現れて「自分は年老いて家も貧しく食べ物がない。何か食べるものがもらえないだろうか」と頼むのだった。 哀れみの心からサルは木に登りクリや柿、梨などの果実や木の実を採り キツネは墓所に出かけて、供え置かれたアワビや鰹などを探して持ってきた。 しかしウサギだけは何も食べ物を見つけられなかった。 もはやこの身を捧げるしかないと思ったウサギは「おいしいものを探してくるから火をおこしておくように」と言って仲間に火をたかせると、再び食べ物を探しにいった。 やがて何も見つからずに帰ってきたウサギは覚悟を決めて、翁に向かって 「食べるものが見つからなかったので、どうか自分を食べてください」と言って、その火の中に飛び込んでしまった。 帝釈天は元の姿に戻ると、ウサギの勇気ある菩薩道の実践に感心し、火の中に 飛び込むウサギの姿を月の中に入れた。それから月にウサギが住むようになったという。
貧しい修行僧が丹後の成合の観音の霊験あらたかな寺にこもって、仏道の修業にはげんだ。 そのうち雪が降って深く積もったため、里に下りることができなくなった。 持参した食べ物もなくなり飢え死にするしかなかった修行僧は観音に祈った。 すると外には狼に食われた猪があるではないか。 修行僧はこれは観音が与えてくれた食べ物だと感謝するが、肉食は仏道で禁止されている。 とうとう飢えに勝てない修行僧は猪の腿の肉をむしりとって、鍋て煮て食べてしまう。 やがて雪もやんで、僧を心配した村人たちが山を上って寺にやってきた。 修行僧は慌てて鍋を隠そうとするが間に合わない。 村人が何を食べたかと鍋の中を見たら、檜の木片が入っていた。 そして村人は観音の腿の部分が切り取られているのを見つけた。 修行僧もそれに気がついて、あの猪は観音の化身であったことを知る。 この一部始終を村人に話すと、誰もが観音の慈愛に涙を流した。 修行僧が観音の前に座って、観音の姿が元に戻るよう祈った。 すると観音の腿は元のように(かさ)成り合って戻ったので、これ以後 その寺を成合と呼ぶようになった。
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