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[No.439] 今昔物語 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 07:57
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むかし天竺にウサギとサルとキツネがいた。
三匹は前世の罪でこのような賤しい姿に生まれ変わったことを嘆き
来世ではそのようなことにならないよう、まじめに菩薩道を行っていた。
 これを見た帝釈天が、彼らはどこまで菩薩道を行っているのか試そうとした。
帝釈天は一人の翁に変身すると三匹の前に現れて「自分は年老いて家も貧しく食べ物がない。何か食べるものがもらえないだろうか」と頼むのだった。
 哀れみの心からサルは木に登りクリや柿、梨などの果実や木の実を採り
キツネは墓所に出かけて、供え置かれたアワビや鰹などを探して持ってきた。
しかしウサギだけは何も食べ物を見つけられなかった。
 もはやこの身を捧げるしかないと思ったウサギは「おいしいものを探してくるから火をおこしておくように」と言って仲間に火をたかせると、再び食べ物を探しにいった。
やがて何も見つからずに帰ってきたウサギは覚悟を決めて、翁に向かって
「食べるものが見つからなかったので、どうか自分を食べてください」と言って、その火の中に飛び込んでしまった。
 帝釈天は元の姿に戻ると、ウサギの勇気ある菩薩道の実践に感心し、火の中に
飛び込むウサギの姿を月の中に入れた。それから月にウサギが住むようになったという。

貧しい修行僧が丹後の成合の観音の霊験あらたかな寺にこもって、仏道の修業にはげんだ。
そのうち雪が降って深く積もったため、里に下りることができなくなった。
持参した食べ物もなくなり飢え死にするしかなかった修行僧は観音に祈った。
 すると外には狼に食われた猪があるではないか。
修行僧はこれは観音が与えてくれた食べ物だと感謝するが、肉食は仏道で禁止されている。
とうとう飢えに勝てない修行僧は猪の腿の肉をむしりとって、鍋て煮て食べてしまう。
 やがて雪もやんで、僧を心配した村人たちが山を上って寺にやってきた。
修行僧は慌てて鍋を隠そうとするが間に合わない。
村人が何を食べたかと鍋の中を見たら、檜の木片が入っていた。
そして村人は観音の腿の部分が切り取られているのを見つけた。
修行僧もそれに気がついて、あの猪は観音の化身であったことを知る。
 この一部始終を村人に話すと、誰もが観音の慈愛に涙を流した。
修行僧が観音の前に座って、観音の姿が元に戻るよう祈った。
すると観音の腿は元のように(かさ)成り合って戻ったので、これ以後
その寺を成合と呼ぶようになった。


[No.441] 大鏡 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 15:59
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文徳天皇即位(850年)から後一条天皇の万寿2年(1025年)に至るまで14代176年間の宮廷の歴史を、藤原北家とくに道長の栄華を軸にして
大宅世継(190歳)と夏山繁樹(180歳)という長生きな二人の老人が雲林院の菩提講で語り合い、そばで聞いていた若侍がチャチャを入れるという
当時としてもナウイ対話形式で書かれている。

司馬遷の史記にならい
人物の伝記を連ねて歴史を述べるという紀伝体で書かれている。

藤原道長は
父の兼家が摂政になり権力を握るとそこそこに栄達するが
五男であれば、道隆、道兼という有力な兄がいたたのでさほど目立たない存在だった。しかし、兼家の死後に摂関となった道隆が大酒で、道兼が伝染病により相次いで病没。それから、道隆の嫡子伊周(これちか)との政争に勝って左大臣として政権を掌握した。

一条天皇に中宮定子(道隆の娘)がいたのに
権力を握った道長は一条天皇に長女の彰子を入内させ中宮とさせた。

定子と彰子との対決は、清少納言と紫式部の対決を呼ぶことになる。
しかし
彰子は自分の子が次期天皇になることは希望しなかったという。
道長が強引にことをすすめたらしい。


[No.443] 忘れえぬ人々 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 18:34
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忘れえぬ人々
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 溝の口は、かつての「大山街道」沿いにあり、二子の渡しを渡った最初の宿場として江戸時代より栄えた場所である。
神奈川県伊勢原にある大山は、不動信仰の場所として知られ、参詣者も少なくなかった。

 宿場の中心地であった溝の口神社の手前、つまり二子の渡しを渡った場所に「亀屋」という旅館があった。
近年になって「亀屋会館」と名前を変え、総合結婚式場として周辺の若者を引きつけた時代もあったが、営業不振でなくなってしまった。

 この旅館を舞台にして、独歩が「忘れえぬ人々」を書き、小説として発表した。
その縁でここに独歩の碑が建てられた。石碑は、会館の駐車場入り口に建てられていたのだが、現在は高津図書館前へと移された。

メロウ倶楽部の行事で何度か溝の口に行ったとき
この石碑を見てきた。

忘れえぬ人々
http://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/1409_34798.html
教科書にあった。今も忘れられない独歩の心に残る文章。


[No.445] 真実一路 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 19:28
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「真実一路」は山本有三の作品だが
真面目すぎていささか読むのに疲れる小説である。

同じ作家の「路傍の石」のほうがまだ冷静に読める。

父義平と姉しず子と三人で暮らしている小学生の義夫は近頃反抗的だった。
年の離れた姉はやさしいが、父親はわがままを許さない厳格な性格の持ち主で何かというとあれこれ義夫を叱っていた。

母は亡くなったと聞かされているが、義夫はひょんなことから
もしや実母は生きているのではないかと考えるようになる。

姉のしず子は弟に母が生きていることを話すべきか迷っていた。
母は10年前に家を出て、今では愛人と暮らしながら、場末の飲み屋を経営している。

だが、姉しず子も縁談が自らの出生を理由に破談になったことを知り
自分の出生にも秘密があるのではないかと考える。

そのうち父の義平が亡くなり、残された遺書から、しず子は自分の出生の秘密と父母の真実を知る。

母は腹の中に死別した恋人の子(しず子)を宿したまま
やむなく義平に嫁いだのだった。

事情を知りながらも結婚した義平がいくらつくしても
死んだ恋人を忘れられない妻(しず子の母)は義平を愛することはなかった。

そうして、子を置いて家を飛び出したのは感情のままに生きる母の信じた道であり
逆に父は残された子と自らの理性を守り通したのだった。
 
作者自身も結婚に失敗した経験を持つ。
恩人に勧められた縁談だったが、相性があわず離婚した。

義平がしず子宛の遺書で
男女の相性の大切さ、真実に生きることの尊さを説いているのは
作者自身の経験によるものである。


[No.449] しろばんば 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 21:32
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井上靖 「しろばんば」

しろばんばとは
冬が近くなったころに
夕闇がたちこめた空間を綿くずでも舞っているように浮遊している
白い小さい生きもののことである。
このしろばんばが現れる時刻になると、子どもたちの家からは
帰宅をうながす声がきこえてくる。

しかし
主人公の少年洪作を呼ぶ声はない。
彼と一緒に住むおぬい婆さんは、彼を好きなだけ遊ばせていたので
洪作は仲間がいなくなるまで遊んでいた。
監督者のいない自由な生活だった。

おぬい婆さんは、他界した曾祖父の愛人で
曾祖父は彼女の生活や家族の中での地位を安定させるため
洪作の母を分家させて、おぬい婆さんを洪作の養母として入籍させていた。

そのような理由で、洪作は豊橋に住む実父母や妹と別れて
5歳から12歳頃まで、伊豆半島の湯ヶ島でおぬい婆さんと暮らしていた。


[No.450] 放浪記 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 22:00
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林芙美子の自伝的小説。

「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…したがって旅が古里であった」との出だしで始まる。

行商人だった両親に連れられ全国各地を旅する。

尾道の女学校で文才を認められる。
尾道出身の大学生と東京で同棲するが結局結婚できず。
(この男は彼女の小説出版の時に援助したらしい)

彼女は、夜店商人、セルロイド女工、カフエの女給などの職を転々とする。
書くことに疲れ、海を見たくなり、列車で長野を越えて直江津まで行く。
そこで「継続だんご」なるだんごのネーミングが品がないと軽蔑しながら
甘いだんごを食べて元気を出し、自殺することを中止して東京に帰る。
  この継続だんご店は放浪記の関係文章を今も宣伝に使っている。

森光子の芝居が有名である。
あれは若いころの菊田一夫がサトウハチローのところにみんなで集まって青春時代をすごしたとき
ときおり女給をしていた林芙美子が一升瓶を抱えてころがりこんできたので
昔からの仲間という意識で戯曲を書いたのである。

あの芝居のように、詩人との同棲は男が乱暴するので林芙美子は不幸であったが
そのあとに一緒になった画家は温厚な男で、この男と暮らすようになってから
彼女は心に落ち着きと安らぎを得て、小説も成功するようになったのである。
  それが夫の手塚緑敏である。彼女も夫を大切にした。


[No.453] 破戒 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 06:04
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破戒
画像サイズ: 483×378 (35kB)
被差別部落問題をとりあげた「破戒」は
島崎藤村が自費出版した小説。
貧しかった藤村は、この小説が完成するまでの2年間に
3人の子どもを亡くす。妻も栄養失調におちいったという。

「破戒」を執筆していたとき藤村が住んでいた家が、新宿の歌舞伎町にあった。
地下鉄の東新宿駅ちかくに藤村旧居跡がある。

主人公が志保とともにアメリカに渡るという展開は
逃亡だとして批判する人もいるが
当時としてはやむをえない方策だったのではないか。

この小説の映画化で志保を演じた女優が
藤村志保である。


[No.455] 風の又三郎 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 06:20
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宮沢賢治の童話だから、やっぱり舞台は花巻か。

突然やってきた奇妙な転校生

だぶだぶの上着に半ズボン

父親の仕事の都合で転校してきた高田三郎は
たちまち風の又三郎というあだ名をつけられる。

二週間もいないで
風のように去っていった又三郎。


[No.456] 蜘蛛の糸 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 06:29
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一度だけ
蜘蛛を踏みつぶさなかったという善行に免じて
お釈迦樣は
殺人や放火など多くの悪事をはたらいたカンダタに
チャンスを与える。

細い蜘蛛の糸につかまって地獄を脱出できそうなカンダタは
蜘蛛の糸につかまった多数の罪人たちを見て
「この糸は俺のものだ。(お前たちのものではない)降りろ」
と叫ぶと、糸はぷっつり切れてしまう。
カンダタも地獄に落ちてしまった。

しかし
細い糸にたくさんの人がつかまれば
糸は切れるに違いない。
カンダタが叫んでも叫ばなくても
糸は物理学的に切れたのではないか
と私は思うのでした。


[No.457] 山椒大夫 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 06:42
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越後の春日から今津へ向かう道を旅する
三十すぎの母親と二人の子ども。

一行は筑紫へ流されたまま帰らない父を心配して訪ねていく途中である。

その日の宿を探そうと、通りかかった潮汲女に尋ねると
このあたりは最近人買いが横行しているので、旅人に宿を貸してはいけない掟になっているという。

しかたなく彼らは河原で野宿することにした。

そして親切そうな悪人の山椒大夫にだまされ
親不知子不知の難所をさけて海路を選ぶことにして二つの船に別れて乗った親子。
母の船は佐渡へ、安寿と厨子王の船は丹後へ向かうのだった。

この森鴎外の小説の舞台である
直江津の海岸を散歩していたとき、説明板を目にしたのでした。
 直江津には林芙美子の放浪記の継続だんごの店を見に行ったときのこと。


[No.458] 雪国 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 06:54
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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」ではじまる
川端康成の小説は、ほんとうのところ私には
そのよさがわからなかった。

上越新幹線ができて
はるばる行く雪国ではなくなったが
トンネルをぬけると、青空から一転して一面の雪世界になることは変わらない。

鉄道ミステリー作家西村京太郎の
「雪国」殺人事件が
川端康成の雪国の雰囲気をよく再現しているように
思われる。


[No.459] 大つごもり 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 07:49
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読みにくい樋口一葉の擬古文も
この小説だけは理解できた。

奉公人のお峯が
世話になった伯父夫婦が困窮してして
大晦日のお昼までに
奉公先から何とか前借りしてほしいと頼まれるが
とても奉公先の女主人は締まり屋で
やはりというか断られてしまう。
実はこのお峯の雇い主の家には道楽息子の石之助がいて
父はそれでもこの一人息子をかわいがっているが
養母は彼が帰ってきているので機嫌が悪かったのである。

困り果てたヒロインは
石之助が炬燵で熟睡してしまっているのを見て
とうとう懸け硯の引き出しをあけて
大枚二枚をぬきとってしまう。

なんとか伯父夫婦にお金を渡してホッとしたのもつかの間。
いずれ捕まってしまうとお峯はおびえるがそれから何もなかった。

実は道楽息子の石之助が父から金をせびってまた家を出たのだが
彼はまだお金がほしいとみえて
懸け硯の中をからっぽにして「引き出しの中の分も拝借しました」
という置き手紙を置いていったのだ。

だから、誰もお峯が二枚の札を盗んだことには気がつかなかった。
もしかしたら、石之助はそれを知っていて手紙を入れておいたのかもしれない。


[No.460] 坊ちゃん 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 08:05
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夏目漱石は
「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」という
楽しい小説を書いた。

森鴎外の方はそういう単純に楽しめる作品が少ないので
どうしても漱石の方が親しみを感じる人が多いようである。

さて
このシリーズを一気に書いたのは
実は参考文献があって下記の本を見たのでした。
 「図解 5分でわかる日本の名作 傑作選」 青春出版社
この中であつかっている49冊の本の中から、自分で読んで
内容を知っているものをとりあげたわけです。
49冊の中にはすでにとりあげた作品もあり、それらは省略しました。

5分でわかるというだけあって
非常に簡単に説明しているから物足りないところもあり
たとえば、しろばんばでは冬が近くなってから見られる現象という説明がありませんでした。

こういう解説本もうまく利用すればいいと思いますが...


[No.463] Re: 雪国 投稿者:   投稿日:2011/12/06(Tue) 11:43
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男爵さん  みなさん

> 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」

以前メロウフォーラムのころに
「国境」を「こっきょう」と読むか「くにざかい」と読むかで
大論争があったのを思い出しました



        さんらく亭@甲子園


[No.464] Re: 雪国 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 12:08
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さんらく亭さん  みなさん

> 以前メロウフォーラムのころに
> 「国境」を「こっきょう」と読むか「くにざかい」と読むかで
> 大論争があったのを思い出しました

なるほど
「こっきょう」とみんな読んでいると思っていましたが
そこは外国ではないから
歴史的なことを考えると「くにざかい」のほうが正しいんでしょうね。

>「国境」を「くにざかい」と読むことを主張する人々は、この「国境」とは、
>かつての令制国である上野国(群馬県)と越後国(新潟県)の境という意味である。
>日本国内における旧令制国の境界の読み方は一般に「くにざかい」である、と主張する。

>一方、上越国境とか信越国境と「国境」「こっきょう」と読まれることが一般的で、
>川端自身も「こっきょう」と読むことを認める発言をしているというのが
>「こっきょう」と読む、あるいはどちらでもよいという人々の主張である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%9B%BD_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

川端康成のことを
「かわばたやすなり」と言わず「かわばたこうせい」と言う人もいます。

土井晩翠はほんとうは
「つちいばんすい」というのだが
みんなが「どいばんすい」というので
それに従ったそうです。