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[No.814] Re: フランドル美術紀行 投稿者:   投稿日:2011/12/29(Thu) 12:17
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  男爵 さん、まいどっ。

> > >フィリップ美公がブルゴーニュの宮廷を
> > >北フランスからフランドル地方に移したことによって
> > >ブルージュとブリュセルは豪華絢爛な都市へと変身した。
>
> >  ブルージュには良い思い出があります。散歩中、アイクの銅像を発見したことも印象に残っています。かれの、活躍の場はゲントだったのですが、この街で死んだのです。美味しいビールを飲んだのもここ。フランドルを治め、地元民から敬愛された美貌のマリー、ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。
>
> マリー女公(1457年 - 1482年)
> 父シャルル突進公の死後、フランス王ルイ11世の煽動により反乱が起こり、一時幽閉される。そこで婚約者マクシミリアンに救援を求め、結婚する。ブルゴーニュはフランス王領に編入されるが、ギネガテの戦いの勝利によりネーデルランドとフランシュ=コンテは確保する。マリーとマクシミリアンの共同統治となるが夫婦仲は極めて良く、共に領内を歴訪し支持を集める。しかしマリーは落馬事故にてあえなく落命する。ヴァロワ=ブルゴーニュ家男系が絶えたため、2人の息子フィリップ美公が相続した。公位と所領はその後、美公の長男である神聖ローマ皇帝カール5世からスペイン・ハプスブルク家へと継承された。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E5%85%AC%E5%9B%BD
>
> 落馬で死んだマリーの息子フィリップ美公、それから神聖ローマ帝国との結びつきが強くなった。
> だから、ウィーンにフランドル地方の絵画が多くある。
> ということがいろんな本を読んでわかりました。
>
> >  ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)
>
> 一緒したあのレストランでしたか。

  いえ、市立美術館の方です。


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