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[No.783] フランドル美術紀行 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/27(Tue) 06:57
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旅名人ブックスのシリーズ本の一つ

私としては
フランドル地方の歴史からまず始めたいところだが
そんなに詳しくは説明していない。

225ページにブルゴーニュ公国の領土の地図が載っている。
なんとここにはオランダ、ベルギーのほかにルクセンブルクや
アルサス・ロレーヌのロレーヌ地方まで入っている。
(それは当然なのだが)

フィリップ美公がブルゴーニュの宮廷を
北フランスからフランドル地方に移したことによって
ブルージュとブリュセルは豪華絢爛な都市へと変身した。

ヤン・ファン・アイク(1390年頃 - 1441年)初期フランドル派の画家。
ハンス・メムリンク(1435年 - 1494年)ドイツのゼーゲンシュクタット出身。フランドルで活躍。
ヒエロニムス・ボス(1450年頃 - 1516年)現在のオランダ(ベルギー国境近く)にあるス・ヘルトーヘンボスに生まれ、生涯を過ごしている。
ピーテル・ブリューゲル(1525/30年 - 1569年)生地はブラバント地方のブレダとする説もあるが、不明。アントウェルペン、ブリュッセルで活動した。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577年 - 1640年)ドイツのジーゲン生まれ(アントワープ出身の両親の亡命先)。イタリアで活躍した後、アントワープに戻って活動を続けた。
  レンブラント(1606年 - 1669年)やフェルメール(1632年 - 1675年)は八十年戦争(1648年終結)後のオランダで活動しており、オランダ絵画とするのが妥当。


[No.810] Re: フランドル美術紀行 投稿者:   投稿日:2011/12/28(Wed) 23:08
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 男爵さん、こんばんは。

>旅名人ブックスのシリーズ本の一つ

>私としては
フランドル地方の歴史からまず始めたいところだが
そんなに詳しくは説明していない。

>225ページにブルゴーニュ公国の領土の地図が載っている。
なんとここにはオランダ、ベルギーのほかにルクセンブルクや
アルサス・ロレーヌのロレーヌ地方まで入っている。
(それは当然なのだが)

>フィリップ美公がブルゴーニュの宮廷を
北フランスからフランドル地方に移したことによって
ブルージュとブリュセルは豪華絢爛な都市へと変身した。

 ブルージュには良い思い出があります。散歩中、アイクの銅像を発見したことも印象に残っています。かれの、活躍の場はゲントだったのですが、この街で死んだのです。美味しいビールを飲んだのもここ。フランドルを治め、地元民から敬愛された美貌のマリー、ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。

 ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)


[No.811] Re: フランドル美術紀行 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/29(Thu) 06:44
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唐辛子 紋次郎さん

> >フィリップ美公がブルゴーニュの宮廷を
> >北フランスからフランドル地方に移したことによって
> >ブルージュとブリュセルは豪華絢爛な都市へと変身した。

>  ブルージュには良い思い出があります。散歩中、アイクの銅像を発見したことも印象に残っています。かれの、活躍の場はゲントだったのですが、この街で死んだのです。美味しいビールを飲んだのもここ。フランドルを治め、地元民から敬愛された美貌のマリー、ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。

マリー女公(1457年 - 1482年)
父シャルル突進公の死後、フランス王ルイ11世の煽動により反乱が起こり、一時幽閉される。そこで婚約者マクシミリアンに救援を求め、結婚する。ブルゴーニュはフランス王領に編入されるが、ギネガテの戦いの勝利によりネーデルランドとフランシュ=コンテは確保する。マリーとマクシミリアンの共同統治となるが夫婦仲は極めて良く、共に領内を歴訪し支持を集める。しかしマリーは落馬事故にてあえなく落命する。ヴァロワ=ブルゴーニュ家男系が絶えたため、2人の息子フィリップ美公が相続した。公位と所領はその後、美公の長男である神聖ローマ皇帝カール5世からスペイン・ハプスブルク家へと継承された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E5%85%AC%E5%9B%BD

落馬で死んだマリーの息子フィリップ美公、それから神聖ローマ帝国との結びつきが強くなった。
だから、ウィーンにフランドル地方の絵画が多くある。
ということがいろんな本を読んでわかりました。

>  ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)

一緒したあのレストランでしたか。


[No.814] Re: フランドル美術紀行 投稿者:   投稿日:2011/12/29(Thu) 12:17
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  男爵 さん、まいどっ。

> > >フィリップ美公がブルゴーニュの宮廷を
> > >北フランスからフランドル地方に移したことによって
> > >ブルージュとブリュセルは豪華絢爛な都市へと変身した。
>
> >  ブルージュには良い思い出があります。散歩中、アイクの銅像を発見したことも印象に残っています。かれの、活躍の場はゲントだったのですが、この街で死んだのです。美味しいビールを飲んだのもここ。フランドルを治め、地元民から敬愛された美貌のマリー、ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。
>
> マリー女公(1457年 - 1482年)
> 父シャルル突進公の死後、フランス王ルイ11世の煽動により反乱が起こり、一時幽閉される。そこで婚約者マクシミリアンに救援を求め、結婚する。ブルゴーニュはフランス王領に編入されるが、ギネガテの戦いの勝利によりネーデルランドとフランシュ=コンテは確保する。マリーとマクシミリアンの共同統治となるが夫婦仲は極めて良く、共に領内を歴訪し支持を集める。しかしマリーは落馬事故にてあえなく落命する。ヴァロワ=ブルゴーニュ家男系が絶えたため、2人の息子フィリップ美公が相続した。公位と所領はその後、美公の長男である神聖ローマ皇帝カール5世からスペイン・ハプスブルク家へと継承された。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E5%85%AC%E5%9B%BD
>
> 落馬で死んだマリーの息子フィリップ美公、それから神聖ローマ帝国との結びつきが強くなった。
> だから、ウィーンにフランドル地方の絵画が多くある。
> ということがいろんな本を読んでわかりました。
>
> >  ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)
>
> 一緒したあのレストランでしたか。

  いえ、市立美術館の方です。


[No.815] Re: フランドル美術紀行 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/29(Thu) 15:55
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唐辛子 紋次郎さん

>ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。

> > >  ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)

> > 一緒したあのレストランでしたか。

>   いえ、市立美術館の方です。

では まだ行ったことがありませんね。


[No.829] Re: フランドル美術紀行 投稿者:   投稿日:2011/12/29(Thu) 22:44
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  男爵さん、こんばんは。

> >ブルゴーニュ侯爵夫人は、のちベルギービールにもその名を残しました。

> > > >  ところで、あっしの町の美術館の食堂で、これが飲めるのです。Duchesse de Bourgogneは美味しいですよ。(*^_^*)

> > > 一緒したあのレストランでしたか。

> >   いえ、市立美術館の方です。

> では まだ行ったことがありませんね。

 それは残念ですね。いちどまた、佐倉までお出で下さい。お茶を御馳走しますよ。(*^_^*)