洞爺丸台風は、1954年(昭和29年)9月26日に来襲した台風である。青函連絡船洞爺丸の遭難では1,139名の犠牲者が出た。この事故をきっかけに青函トンネル構想が世に出て、いま完成した青函トンネルに新幹線が走る。ラジオ深夜便で昭和29年の歌謡曲として雪村いづみ「青いカナリヤ」(昭和29年 5月)が流れました。https://www.youtube.com/watch?v=TOnhwBEH-q4https://www.youtube.com/watch?v=mfMjojXWv2o
みなさん、お早うございます。> 洞爺丸台風は、1954年(昭和29年)9月26日に来襲した台風である。> > 青函連絡船洞爺丸の遭難では1,139名の犠牲者が出た。> > この事故をきっかけに青函トンネル構想が世に出て、いま完成した青函トンネルに新幹線が走る。 洞爺丸事件があったとき、私は札幌在住でした。 そして、私が所属していた教会で奉仕されていた宣教師がこの洞爺丸に乗っておられたのでした。ご自分がつけていた救命具を近くにいた女学生(?)に譲ったばかりに、ご自身が遭難なさることになったという悲しい報告に接し、葬儀の席に連なるという出来事があったのは忘れられない思い出になっています。まや
まやさん、 みなさん、 こんにちは。> > 洞爺丸台風は、1954年(昭和29年)9月26日に来襲した台風である。> 洞爺丸事件があったとき、私は札幌在住でした。> > そして、私が所属していた教会で奉仕されていた宣教師がこの> 洞爺丸に乗っておられたのでした。ご自分がつけていた救命具を> 近くにいた女学生(?)に譲ったばかりに、ご自身が遭難なさる> ことになったという悲しい報告に接し、葬儀の席に連なるという> 出来事があったのは忘れられない思い出になっています。この宣教師の話は、三浦綾子か誰かの小説で読んだことがあります。 「氷点」でしたか?あのアウシュヴィッツの強制収容所で餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなったコルベ神父みたいな人が洞爺丸に乗っていたんですね。
洞爺丸、紫雲丸と、遭難事故が続いて、それまで四国が定番だったわが母校の小学校の修学旅行の行く先が変更になりました。私たちの学年が最初に影響を受けて、本州の広島県宮島に行くことになりました。あそこも船には乗りますが、何と言っても短時間で、波の静かな海ですからね。結果として、私は宮島が旅行先でよかったです。厳島神社も、干満の激しさも非常に印象に残っています。しかし、その後の修学旅行先がどこになったかは、まったく記憶がありません。歳の近い弟妹もいるのに・・・夏子
夏子さん、みなさん こんにちは。> 洞爺丸、紫雲丸と、遭難事故が続いて、それまで四国が定番だったわが母校の小学校の> 修学旅行の行く先が変更になりました。> > 私たちの学年が最初に影響を受けて、本州の広島県宮島に行くことになりました。> あそこも船には乗りますが、何と言っても短時間で、波の静かな海ですからね。> > 結果として、私は宮島が旅行先でよかったです。厳島神社も、干満の激しさも非常に> 印象に残っています。たしかに宮島はいいですね。 日本三景だし。洞爺丸事故の3年後中学校の修学旅行は、本州に行きました。(洞爺丸が座礁しても、青函連絡船はその後も運航が続けられました)私たちも弘前の桜を見たりしました。http://www.hirosakipark.jp/sakura/
男爵さん、こんばんは。> 洞爺丸事故の3年後> 中学校の修学旅行は、本州に行きました。> (洞爺丸が座礁しても、青函連絡船はその後も運航が続けられました)> > 私たちも弘前の桜を見たりしました。その時、男爵さんは北海道にお住まいだったんですか?修学旅行先が変わったのか変わらなかったのか、それが問題(^^ゞ夏子
夏子さん、 おはようございます。 > > 私たちも弘前の桜を見たりしました。> > その時、男爵さんは北海道にお住まいだったんですか?> 修学旅行先が変わったのか変わらなかったのか、それが問題(^^ゞ青函連絡船は(北海道民にとって)大事な動脈ですから事故があっても運行していました。修学旅行の先が本州だった点は変わらなかったと思います。あのあと、青函連絡船は天候には神経質になってよく運休するようになりました。
男爵さん、亀レスですが・・・> 青函連絡船は(北海道民にとって)大事な動脈ですから> 事故があっても運行していました。そう言われればそうですね。おそらく、四国と本州を結ぶ宇高連絡船も、色々な事故があっても、瀬戸大橋が開通するまでは、大切な足だったでしょうから運航していたでしょうね。 > 修学旅行の先が本州だった点は変わらなかったと思います。北海道は広いから、道内でも旅行先はあっただろうと思いますが、やっぱり中学生ともなれば本州に行きたいかな。それに、大きな船に乗って旅行すること自体、珍しい経験でしょうね。夏子
夏子さん> 洞爺丸、紫雲丸と、遭難事故が続いて、それまで四国が定番だったわが母校の小学校の> 修学旅行の行く先が変更になりました。紫雲丸事故宇高連絡船紫雲丸が、1955年(昭和30年)5月11日の5回目の事故を指す場合が多い。5回目の事故では、修学旅行の児童生徒100名を含む168名の死者を出した。この事故が、瀬戸大橋建設の機運を一気に高めた。船の名前は高松市にある「紫雲山」に因んでいるが、「紫雲」という言葉自体に「臨終時に仏が乗って迎えに来る雲(来迎時)」という意味があり、また就航時から「死運丸」と囁かれていた。 ○ ○1954年(昭和29年)の主な出来事 1月2日 - 皇居二重橋で皇居一般参賀者が橋上で将棋倒しとなり16人が死亡する(二重橋事件)。 2月19日 - 日本初の国際プロレスリング大会が蔵前国技館で開催(3月9日まで)。街頭テレビでは力道山やシャープ兄弟に人気が集中した。 3月1日 - 日本の遠洋マグロ漁船第五福竜丸が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びる。 4月5日 - 初の集団就職列車(青森・上野間)が運行される。 6月17日 - 中華人民共和国とイギリスが国交樹立。 6月19日 - 名古屋テレビ塔完成。 7月1日 - 自衛隊発足。 8月31日 - 北海道釧路市の太平洋炭礦で爆発事故、39人死亡。 9月6日 - ヴェネツィア国際映画祭で黒澤明監督の『七人の侍』と溝口健二監督の『山椒大夫』の日本映画2作品が銀獅子賞を受賞。 9月26日 - 洞爺丸事故。 9月26日 - 岩内大火、北海道岩内郡岩内町。焼損棟数3299棟、死者33名。 10月8日 - 神奈川県の相模湖で遠足の中学生らを定員オーバーで乗せた遊覧船が沈没し22名が死亡。(内郷丸遭難事件) 11月3日 - 東宝映画「ゴジラ」が公開される。 12月22日 - 日本プロレスで初の日本選手権が蔵前国技館で行われ、力道山が木村政彦を下す(昭和の巌流島)。
青函連絡船に乗るときいつも船内で流れる曲がありました。それは 連絡船の唄 菅原都々子 https://www.youtube.com/watch?v=vuuCO3wOwoohttps://www.youtube.com/watch?v=K-moTQzis0oこの曲は青函連絡船の歌なのかと思っていたらもともともは、関釜連絡船の歌だったようです。菅原都々子(すがわら つづこ)は9歳の時に、才能を古賀政男に認められ古賀政男の養女となったのですね。しかし、たまには実父が恋しいから会いたくなって会っていたのが古賀政男の逆鱗に触れ、養子縁組は解消されたとのこと。古賀政男が(おおらかな)大人でなかったのか、あるいは菅原都々子がまだ子供で、実父からすっかり離れられなかったのか。 父親の陸奥明は作曲家で、「月がとっても青いから」、「雪の渡り鳥」、「お座敷小唄」などがある。
男爵さん、こんにちは。> 菅原都々子(すがわら つづこ)は> 9歳の時に、才能を古賀政男に認められ> 古賀政男の養女となったのですね。> > しかし、たまには実父が恋しいから会いたくなって会っていたのが> 古賀政男の逆鱗に触れ、養子縁組は解消されたとのこと。> > 古賀政男が(おおらかな)大人でなかったのか、あるいは> 菅原都々子がまだ子供で、実父からすっかり離れられなかったのか。うーむ、古賀政男の嫉妬だったのかもしれませんね。> 父親の陸奥明は作曲家で、「月がとっても青いから」、「雪の渡り鳥」、「お座敷小唄」などがある。実のお父さんも大した作曲家だったのですね。ことに「月がとっても青いから」は菅原都々子の代表曲で、懐メロはこればっかりです。「お座敷小唄」も、どれほど多くの歌手に歌われていることか、さっきYouTubeを見て驚きました。夏子
夏子さん、こんにちは。> > 菅原都々子(すがわら つづこ)は> > 9歳の時に、才能を古賀政男に認められ> > 古賀政男の養女となったのですね。> > > > しかし、たまには実父が恋しいから会いたくなって会っていたのが> > 古賀政男の逆鱗に触れ、養子縁組は解消されたとのこと。> > > > 古賀政男が(おおらかな)大人でなかったのか、あるいは> > 菅原都々子がまだ子供で、実父からすっかり離れられなかったのか。> > うーむ、古賀政男の嫉妬だったのかもしれませんね。さびしかった古賀政男は、かわいい養女を独占したかったのでしょう。この養女のことは、代々木上原の古賀政男音楽博物館で知りました。 http://www.koga.or.jp/あの長谷川町子も「田河水泡の弟子になりたい」という願いを母が田川にかけあって実現したのですが内弟子として田河家で生活するも、ホームシックから11カ月で出戻ったそうです。 14,15歳のころだと思います。田河水泡夫妻は、長谷川町子の影響でクリスチャンになったそうです。田川水泡の弟子に『サザエさん』の長谷川町子や『あんみつ姫』の倉金章介、『猿飛佐助』『ドロンちび丸』の杉浦茂、滝田ゆう、山根青鬼・山根赤鬼、森安なおや、伊東隆夫、野呂新平、ツヅキ敏、永田竹丸、などたくさんいます。長谷川町子、倉金章介、杉浦茂、滝田ゆう、山根青鬼・山根赤鬼、森安なおや、伊東隆夫くらいは漫画を見たことがありますが、....