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[No.2499] 夏がくれば思い出す 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/20(Thu) 16:29
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 「夏の思い出」が1949年、NHKで放送されました。
 まだまだ、ハイキングどころではない、終戦直後、
 あの歌を聴きながら「しゃくなげ色にたそがれる」遠い尾瀬に思いを馳せました。
 江間章子さん作詞・中田喜直作曲 名コンビでしたね。
 いまでも、蒸し暑くて寝苦しい夜、あの歌を口ずさんでいます。

 もう一つ「泉のほとり」もいいですね。「水よ 水よ きれいな水よ」という
 この歌は「夏の思い出」が初夏の歌とすれば、こちらは「初秋」の歌ですが
 一服の清涼剤のように感じます。   
   作詞 深尾須磨子 作曲 橋本国彦」

 どちらも格調高いのに、親しみやすい歌です。
 合唱コンクールでも、よく歌われましたね。
 当時は、何もなかった時代ですが、こんな素晴らしい歌を残してくれていたのですね。

 


[No.2501] Re: 夏がくれば思い出す 投稿者:男爵  投稿日:2015/08/21(Fri) 07:35
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マーチャン

>  「夏の思い出」が1949年、NHKで放送されました。
>  まだまだ、ハイキングどころではない、終戦直後、
>  あの歌を聴きながら「しゃくなげ色にたそがれる」遠い尾瀬に思いを馳せました。
>  江間章子さん作詞・中田喜直作曲 名コンビでしたね。
>  いまでも、蒸し暑くて寝苦しい夜、あの歌を口ずさんでいます。


江間章子は
 大正2年(1913年)に 新潟県高田市(現上越市)で生まれました。

   高田は、北陸新幹線の上越妙高駅で乗り換えてすぐです。

父親は軍人でした。
 高田には第13師団があったのです。

ところが彼女が幼いとき父が亡くなったので
母親の実家のある岩手の平舘村(現岩手県八幡平市平舘)に移住したのです。

この「夏の思い出」はNHKラジオ歌謡で発表されたものですが
依頼があってつくったのか、彼女の売り込みだったのか、さだかでないようです。

そのとき、知り合いに誘われて、初めて尾瀬に行ったとき
ミズバショウを見て、「あっ、ベコの舌だ」と心の中で叫んだそうです。
幼い頃に、八幡平(はちまんたい)のふもとで毎年見た花だったから。

江間章子は
 平成7年(1995年)に 岩手県西根町(現・八幡平市)の名誉町民第1号となりました。


蛇足
高田には第13師団があったのです。

オーストリアのレルヒ少佐が高田で
1911年(明治44年)1月12日に
スキー技術を伝授したことが、日本での本格的なスキー普及の第一歩とされています。

これにちなみ、1月12日が「スキーの日」とされているのです。


[No.2502] Re: 夏がくれば思い出す 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/08/25(Tue) 21:29
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>  「夏の思い出」が1949年、NHKで放送されました。
 まだまだ、ハイキングどころではない、終戦直後、
 あの歌を聴きながら「しゃくなげ色にたそがれる」遠い尾瀬に思いを馳せました。>  江間章子さん作詞・中田喜直作曲 名コンビでしたね。
 いまでも、蒸し暑くて寝苦しい夜、あの歌を口ずさんでいます。
 合唱コンクールでも、よく歌われましたね。
 当時は、何もなかった時代ですが、こんな素晴らしい歌を残してくれていたのですね。
 
「夏の思い出」の作詞者、江間章子さんといえば、メロウ倶楽部がメロウフォーラムだったころ、粗骨さんという方がおられて、アメリカの作家、ワシントン・アーヴィングの「アルハンブラ物語」が話題になった時、これはどうしても、江間さんの訳でなければダメだと強調されたのです。

 あっしは、ほかにも訳書があるし、すでに馬場久吉さん(岩波文庫)の訳書で読んでいたので、この方を推奨したのですが、ゼッタイに譲られませんでした。

  それで、江間章子さんの名前が、粗骨さんのお名前とともに、忘れられない思い出になりました。