昭和の部屋 
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[No.3344] 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/03/26(Mon) 00:33
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昭和40年頃までは、五右衛門風呂に入っていた。
時には、風呂焚きもした。
風呂焚きは、好きな時間でもあった。火を見てると、何か癒されると言うか、
そんな気になりませんか?

結婚してからも、最初は五右衛門風呂だった。4軒長屋に住んでいて、薪作りや
風呂焚き当番もあった。薪は、誰のツテだったか知らないが、製材所の端材を
安く買っていたのだと思う。

お風呂場から一番離れた端の家で、冬に生まれた娘を、バスタオルにくるんで
家まで走ったいた。出産の手伝いに来てくれた姑が、○チャンは、あんな雪の
降るような寒い中を、湯上りで運ばれていたから、元気に育ったんだねぇ、と
感心してくれたことを思い出す。

しかし、生まれたては、部屋にビニールを敷いて、木製のタライに湯を張って
夫が入れて、姑が傍から手伝って、それを、私が布団の中から見ていた記憶が
あるので、事実の時間関係が混乱してしまう(^^ゞ

昔は、産後は2週間くらい寝てませんでした?(^^ゞ

長屋に2年いた後、4層アパートに当たって、ガスぶろになった。
同時に、初めて洋式トイレのお世話になったが、どうしていいか最初は
悩んだものだ(^^ゞ 

4階住まいで、赤子をおんぶしての買い物が苦労だったが、風呂とトイレは
快適だったアパートは、夫が新しい職場を得て、わずか3カ月でお別れ。

新築の借家は、工事が遅れて、まだ水道も来ていなかったっけ。
ここで、また薪で沸かす五右衛門風呂に。トイレもボットントイレに逆戻り。
火を見るのは好きだが、時間がかかるのは大変だったな。最低でも、水を
入れてからいい湯加減になるまでに、1時間はかかったと思う。

また4層の県営アパートに当たって、2年で転居。
今度は3階で、1階少ないだけでも上り下りはずいぶん楽だった。赤子を
負ぶわなくてもよくなっていたし(^^ゞ

また職場が変わって、転居。木造一戸建てで、お風呂はガス風呂だった。

マイホームを新築して転居。お風呂は深夜電力を利用しての給湯式になった。
格段に労力は楽になった。何せ、水を張る時間=お湯が溜まる時間なので、
楽ちん楽ちん、というようなものだった(^o^)/

しかし、新興の住宅団地で、まだ家が少なく、下から吹き上げる北風が冷たく、
温水器は凍結して、何度壊れたか分からない。修理費は結構かかった。

何度目かに壊れた後、燃料費が安いと言うことで、灯油ボイラーに替えた。
これも何年か経って、そろそろ交換時期となった頃、年齢的に灯油缶を
運ぶのにきっと苦労すると思えてまた電気温水器に替えた。

初めに設置した温水器は、深夜電力で決まった量までしかお湯が使えず、
年末になると、お湯を使う量が急増するので、肝心な時にお湯が出なくなって
不便だったが、今回のは、定量の湯ではないので、好きなだけ使える。

ところが、家族数も減り、正月だからと言って、シャカリキにおせち料理も
作らなくなり、定量制でも間に合ったに違いない(^^ゞ

以上、私のお風呂体験である。ずっと内風呂だったので、銭湯体験という
のは、一度しか記憶がない。友達に誘われて初めて行った時、おばさん達が
象のような足で、のしのしと歩いているのをびっくり仰天して眺めたもの
だが、今や、私自身が、あのおばさん達のような裸体になっていると思う。

ま、私の場合は、今後も大勢の人のいる銭湯に行くことはないと思うので、
若い人を驚かすことはないだろう(^^ゞ
夏子


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