[No.523]
Re: わが人生の歌がたり
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/22(Thu) 07:00
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> では続きを...
昭和33年から34年にかけて世の中が明るくなる兆しがあった。
東京タワーの完成が昭和33年
34年には皇太子御成婚、児島明子さんがミス・ユニバース。
200メートル背泳の田中聡子選手、400メートル自由形の山中毅選手世界記録も出た。
なんといっても著者が忘れられないのは
33年秋の日本シリーズ
巨人三連勝の後の西鉄稲尾の大活躍で四連勝。
そのころのヒット曲に
ペギー葉山の「南国土佐を後にして」があった。
http://www.youtube.com/watch?v=47ZfF8yW1do
http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/12-semi2/wforum.cgi?no=196&reno=no&oya=196&mode=msgview
そのころ(気にそまない仕事をしながら)苦しく働いていた五木にとって
歌謡曲は心をなぐさめてくれるものだった。
演歌とか歌謡曲を音楽的に最高ですばらしいとか称揚する気はないが
五木にとってなくてはならないものであり
それがなければ生きていけない日々さえあったという。
そのころの思い出に残っている「お別れ公衆電話」がある。
当時、「公衆電話」というのは、いまの携帯電話と同じように、新しいかっこいい言葉だった。
「お別れ公衆電話」 ♪ 松山恵子
http://www.youtube.com/watch?v=yZUB29PNXtc
松山恵子は2006年に亡くなった。
病気だとわかっていたときに、NHKの番組に出て
これが最後かもしれないと、感極まった表情で手を振って
「さよなら」と言ったときは、本当に人生にさらばという感じだったと
五木寛之は語った。
そのラジオ深夜便の五木の声も覚えている。