冬の食卓 いま・むかし 
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[No.199] 石川啄木は冬の釧路で何を食べたか 投稿者:男爵  投稿日:2013/01/16(Wed) 10:02
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石川啄木は冬の釧路で何を食べたか
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石川啄木は北海道滞在は1年未満だった。
そのわりには、あちこちで歌を詠み、話題をいっぱい残していった。

1907(明治40年) 4月高等科生徒を引率して校長排斥のストライキを指示。そして渋民村を去ることになる。
5月には函館に渡る。
6月函館弥生尋常小学校代用教員となる。
9月札幌「北門新報」を経て「小樽日報」の創業に参画。野口雨情と三面を担当。
12月小林事務長と争論。
1908(明治41年) 1月釧路新聞社に赴任。4月上京。

1月から3月までの
冬の釧路では何を食べたのだろうか。

釧路は寒い。
小樽、釧路、根室は海風が吹くと体感温度が下がる。
 旭川や帯広は寒いが、こちらは体の芯まで冷える。遠赤外で焼き芋が芯まで温かくなるのと対照的。

釧路時代の啄木は小奴相手に毎晩料亭で料理を食べていたらしい。
刺身やカニ料理だけでは体は温まらないだろうから、熱燗は飲んだであろう。
もしかすると、石狩鍋や三平汁が出たかもしれない。

当時の北海道の日本酒を推定すると.....
 千歳鶴は明治5年に創業。

 旭川の男山は1899年創業。

  北の誉は新しく、1944年(昭和19年)創業。

 根室の北の勝は 1887年 だから、啄木も飲んだかもしれない。

あまり知られていないが
夕張近くの栗山の小林酒造の北の錦は創業明治11年。

ローカルな話題でごめんなさい。


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