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[No.2524] Re: 漂流する日本教育 投稿者:35斉  投稿日:2006/05/30(Tue) 20:48
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千葉の小猿さん 今晩は

早速のレス有難う御座いました。

> (愛国心)
>自分のためにも、近隣のためにも立派な国を作り、国を愛するという見方はいかがですか。

その通りだと思います。ところが世の中、心の素直な人ばかりでないと見えて、

> 国が無ければどうなるか。自分の安全、基本的人権(公共のため制限を受けるのは当然)
も守られないでしょう。

率直でない人にとっては(公共のため制限を受けるのは当然)に引っかかります。
この公共と言うのが曲者で、日本では公共という概念が人それぞれです。
「公共と人権」どちらが優先するか?憲法三条(国民の権利及び義務)の中で、
13条「公共の福祉に反しない限り、国民の人権は最大に尊重される」と有ります。
一体「公共の福祉」って何でしょう?憲法には何処にも書いてありません!

だから成田立ち退き反対の「人権」の方が、海外アクセス累計300万、空港貿易額10兆円、
毎年3000万人利用の「公共の利便性」に優先して、30年間居座りつづけました。
「公共」か「人権」か、どちらを優先するかは、裁判所の判例を待つしかなく、
多くの判例は憲法理念を尊重し、公共の陰が薄いことが現実です。

さらに拡大解釈して公共=国家となると、「お国の為、基本的人権が制限を、
受けるのは当然」となり、此れは現在の主権在民の憲法理念に反する事になります。

では、公共を国家と峻別しておけば良いのですがいまの政府では、
法律の適用を憲法解で、如何様にも変えてきた前科が有ります。
(例えば自衛隊は海外派兵できないのに、武器は持っては行くが戦闘に行くのではないと、
イラク特措法を作り派兵でなく派遣する・・・・)
どんなに立派な憲法・法律を作っても、此れでは何をしでかすか分ったものでは有りません。

そんなことで、「公共のため制限を受けるのは当然」は、未だ完全に市民権を得ていません。
35斉は、だからこそ憲法に明記すべきだと喚いています。

35斉


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