[No.2528]
Re: 漂流する日本教育
投稿者:35斉
投稿日:2006/05/31(Wed) 19:37
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千葉の小猿さん 今晩は
今日はもう初夏を過ぎて夏の暑さに直行の気配、地球も狂ってきたのでしょうか?
もう一つ命題を残していました、「命を大切に」。
> 人間は他の生物の命をもらい生きているのは事実です。
食事の時の「いただきます」は小猿さんの仰るように、人間が他の生き物の、
命を貰い生きている事に対する敬虔な態度の一つでした。
「命を頂かして、戴きます」が詰まって、食事の前の挨拶となったと聞いています。
だから孫たちも食事の挨拶をするまでは「据え膳」と叩き込まれています。
ところがその反対は有りません。
人間は他の生命に命を差し上げることは、普通ではありえません。
(仏陀が餓えた虎にその身を捧げたという言い伝えは有るものの)
同じ生き物でも霊長類は生物の最上階に居る為、下はあっても上は無い?
微生物から始る食物連鎖は循環せず、人間どまりです。
これじゃー「人間は傲慢」そのもので落ち着きません。かと言って、
人間が生きたまま微生物に食われて、(枯れ木が白蟻に食われるように)
連鎖の輪を閉じることができるとも思えません。
そこで人間の中で最も哲学的な人たちが考えました。
人間と他の生物を結ぶ「命の絆」は、物のやり取りだけでなく、「心・慈愛・
慈悲・・・」であると悟りました。然し此れでは目にも耳にも写りません。
だから凡人には不安である事から「宗教」が出来たのではないでしょうか?
「神主の崇敬・僧侶の本願・司教の愛」も、ややともすると他の生命に対する、
人間の傲慢を諌める戒の一つだと思います。
でもでもでも・・・、折角そうやって慎ましく生きてきた人間が、人間同士では、
傷付け合い、戦争ともなると集団殺人、そしていつも罪の無い市民を巻き添えにします。
一方現在の宗教では、戦争を抑止したり集団的救済には無力?のようです。
其れは政治の問題、政教分離しておいて今更何言っているの!と言う感じ。
「他の生き物に対する思いやり」を持った同じ人間が、同士では倒敵反応。
其れを諌める術を何に求めるべきでしょうか?
宗教?国際連合?・・、まだ文明は未熟で答えを見つけきれません! 嗚呼!
35斉