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[No.3093] 建国記念の日 投稿者:ガンマン  投稿日:2007/02/11(Sun) 19:32
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マスコミは「建国記念の日」を忘れたのでしょうか。
 本日の5大新聞の「社説」と「コラム」は、1紙もとりあげなかった。国のありようについて一番考えなければならない時期ではないと思います。
 明治人の気概を思うと悲しくなります。昔の「紀元節」は、「建国祭」とも「建国の日」ともいわれた。日本書紀により、「神武天皇即位の第1日は太陽暦の2月11日にあたる」として、明治5年に国家的な祝日として定められた。今年は「皇紀2667年」である。
 幼少時代の小学校唱歌の回想の中に「紀元節」が蘇る。『雲にそびゆる高千穂の高ねおろしの』に始まる『紀元節』の歌を歌い、国家に対する自信と自負をもっていた。それが、行き過ぎた「超国家観」になったともいわれる。
 昔の行き過ぎは良く有りませんが、現在は、外交と政治不信、経済不安、社会倫理感なしではありませんか。日本は『国家』といえるのでしょうか。国民の安全すら守れない国家が、国家といえるでしょうか。国家としての尊厳を守りたいですね。


[No.3094] Re: 建国記念の日 投稿者:   投稿日:2007/02/11(Sun) 22:42
[関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/kojiroshig/

建国記念日は明日12日だと思います。
本来11日ですが、今は日曜日と重なる時は翌日になっていますから。
明日は何かいう新聞やテレビもあるでしょうよ。


[No.3096] Re: 建国記念の日 投稿者:ガンマン  投稿日:2007/02/11(Sun) 22:58
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> 建国記念日は明日12日だと思います。
何かの間違いと思います。私のもつているカレンダーはすべて、2月11日です。12日は『振替休日』の予定です。お調べ下さい。


[No.3095] Re: 建国記念の日 投稿者:小机  投稿日:2007/02/11(Sun) 22:56
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ガンマンさん、

> マスコミは「建国記念の日」を忘れたのでしょうか。
 本日の5大新聞の「社説」と「コラム」は、1紙もとりあげなかった。国のありようについて一番考えなければならない時期ではないと思います。

 私は建国記念日などという紛らわしい名前より、紀元節のほうが良いですね。建国記念日などと言うと、独立戦争とか革命で今の体制が成立した具体的な日を指す記念日かと思ってしまいますものね。しいて建国記念日と言うなら、現行憲法発効の日か、サンフランシスコ平和条約発効の日がそうでしょう。

 レトロムード優先なら、縄文2700年とか、岩宿4800年なんてのも悪くないですね。もちろん、あの紅白の饅頭は絶対忘れないで欲しいです。たった一回貰っただけで、次ぎの年からはなんにも無し。何しろ、欲しがりません勝つまではとか、なんとか言われて、ずーっとお預けのままですから。


[No.3097] Re: 建国記念の日 投稿者:ガンマン  投稿日:2007/02/11(Sun) 23:21
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小机さま;

>  私は建国記念日などという紛らわしい名前より、紀元節のほうが良いですね。
すみません。「建国記念の日」です。「建国記念日」ではないところが、面白いですね。「日本書紀」のような根拠のないものに、準拠した為だそうです。
「皇紀元年元旦」を太陽暦に置き換えれば、正しくは「2月18日」だそうですよ。
「季語」の俳句例は、紀元節の俳句が良くて、「建国記念の日」の俳句はあまりよくありません。

例えば、「人の世になりても久し紀元節」(正岡子規)。「万葉に東歌あり紀元節」(水原秋櫻子)。「式場の今歌となる紀元節」(中村汀女)。です。時代を反映してるのでしょうか。紀元節は「梅花節」とか「梅佳節」ともいわれ、美しいですよね。

>  もちろん、あの紅白の饅頭は絶対忘れないで欲しいです。たった一回貰っただけ
>で、次ぎの年からはなんにも無し。
私の記憶では、紅白饅頭はなし。学校へ行き「紀元節の式」がありましたが。「雲にそびゆる高千穂の」の『紀元節』の歌は歌いました。母が、家で「代用食」の団子をつくって呉れました。その味が、紀元節の味です。


[No.3098] Re: 建国記念の日 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2007/02/12(Mon) 07:01
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ガンマンさま;

> すみません。「建国記念の日」です。「建国記念日」ではないところが、面白いですね。「日本書紀」のような根拠のないものに、準拠した為だそうです。
> 「皇紀元年元旦」を太陽暦に置き換えれば、正しくは「2月18日」だそうですよ。
> 「季語」の俳句例は、紀元節の俳句が良くて、「建国記念の日」の俳句はあまりよくありません。

御再帰早々の御活躍に心より感謝の意を表明致し度く存じます。

賢人才女に溢れた当倶楽部に於いて国粋の名を厭う所為か国家を論ずる
発言の余りにも僅少なる事を憂いて居りました。

大正人間ニ割にも足らぬ組織とは成りましたが韓国に於ける『聖賢殿』に並ぶ
目標を確立致し度き現在一層の論戦着火の労を御願い申し上げます。

                             変蝠林(1917-)
 
 

 



 
 
 


[No.3099] Re: 建国記念の日 投稿者:ガンマン  投稿日:2007/02/12(Mon) 09:05
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変蝠林(1917-) 様;
>
> 賢人才女に溢れた当倶楽部に於いて国粋の名を厭う所為か国家を論ずる
> 発言の余りにも僅少なる事を憂いて居りました。
>
「戦後からの抜け出ること」が安倍内閣の役割と理解しています。シニア・シテイズンが、子孫に伝授できるのは「国家観」だと思います。40年とか、60年とかの長い期間を単位に、身近な時事問題を考えることが出来るのも、メロウ世代だと思います。

国家のありようを堂々と論じ合う「場」こそ大切ではないでしょうか。偏向も極左も困りものです。常識的な、正しいメロウな天下「国家論」は民主主義の原点だと思います。

新人ですが、時代の閉塞感を感じましたので、発言させて頂きました。よろしくご指導下さい。  


[No.3100] Re: 建国記念の日 投稿者:35斉  投稿日:2007/02/12(Mon) 11:00
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ガンマンさん 今日は 始めまして

> マスコミは「建国記念の日」を忘れたのでしょうか。

建国記念の日に対するマスコミの異常?とも思える対応には呆れています。 
それにしても、何処の家にも日の丸が見えません。
個人の誕生日は皆で集まり寿ぐのに、国家の誕生にはどうしてこんなにも、
冷淡なのでしょうか? 以前から不思議に思っていました。

建国記念の日を設定した経緯や、2―11日に拘った背景はもう散々に論じられていますので、
此処では措くとして、「建国記念日」の無関心の原因は「教育基本法」にある、
いや、有った?ではないでしょうか。

今回の改正は、基本的人権の尊重で守られた国民に、自分の帰属する「国家」に対する意識を育む事が盛り込まれています。例えば、
1:前文に
憲法前文丸写しの基本法前文に「公共の精神を尊び・・」、「伝統を継承し」を追加しました。
2:教育の目標に
「公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画しその発展に寄与する態度を養う」、
「伝統と文化を尊重しそれらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する・・・」

沢山有りますが、要は教育の場で自分たちの帰属する「公共」「国家」の存在を教え、
「公共の精神」「愛国」の意識を教え育もうとしています。今までは日本人はいても、
「日本国」は地図の上だけで、その国家像・アイデンティティーは希薄でした。
だって学校では教えようにも、基本法に無い価値観やプロパガンダはご法度でした。

教育の威力は、韓国・中国の「愛国教育」を見れば、百聞にしかずです。

今回基本法は国会通過しましたが、其れを実行する「指導要領」はこれからですし、
第一、憲法前文に筆を加えたような基本法前文と、
「世界に冠たる憲法様」との整合が求められる事になります。

此処までハッキリした事です。
政府も「建国記念の日」なんてまどろっこしい言い方でなく「建国記念日」と訂正の上、
そのまんま東知事と共同で、「09年第一回宮崎高千穂の峰・建国記念フェステバル」くらい計画しても良いのでは無いでしょうか?遅かりしかな?

                    35斉


[No.3101] Re: 建国記念の日 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2007/02/12(Mon) 14:02
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此のリンクに御関心の皆さん 今日は 

>> マスコミは「建国記念の日」を忘れたのでしょうか。

> 此処では措くとして、「建国記念日」の無関心の原因は「教育基本法」にある、
> いや、有った?ではないでしょうか。

 私は次の様に解釈して居ります。 即ち

 世界を見渡して国家とは戦争の出来る主体であって日本の如く戦争放棄の国は
 国家の範疇からは外されて居るとの意識から国家観に惑いが有る結果ではと。

 異常な断定ですが現在日本国民の国家観念を論ずる時一つの論点ではないかと。

                            変蝠林(1917-)


[No.3102] Re: 建国記念の日→国家観 投稿者:ガンマン  投稿日:2007/02/12(Mon) 16:24
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 変蝠林(1917-) 様;

>  世界を見渡して国家とは戦争の出来る主体であって日本の如く戦争放棄の国は
>  国家の範疇からは外されて居るとの意識から国家観に惑いが有る結果ではと。
>  異常な断定ですが現在日本国民の国家観念を論ずる時一つの論点ではないかと。

その通りだと思います。「国家観」のない国家が存在する。不思議な現象ですね。
国連の中でも「敵国条項」がありまうよね。分担金は、『戦争賠償金』として過分の負担を強いられているようですね。なのに、安保理事会では発言権なし。いまだ、「敗戦国」だからではないでしょうか。外交の弱さですね。

本日は、司馬遼太郎忌日(菜の花忌)です。司馬遼太郎の歴史観には批判がありますが、一つの国家観としては見方ではないでしょうか。とくに、「21世紀に生きる君たちへ」は、若い人に対する一つの見識だと思います。


[No.3103] Re: 建国記念の日 投稿者:35斉  投稿日:2007/02/12(Mon) 17:30
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変蝠林さん 今晩は

>  世界を見渡して国家とは戦争の出来る主体であって日本の如く戦争放棄の国は
>  国家の範疇からは外されて居るとの意識から国家観に惑いが有る結果ではと。

うーん!変蝠林翁が言われるとぴったしですが、少し下がった年代ではもっとずる賢く、

国家の主権の第一が、国連でも認められている「戦争に訴える権利」ですから、
此れを放棄すると言うのは主権の無い国家となったようなものです。
此処までは翁の言う通りです。

でも、「第一主権の無い国家」が60年も存在し、その上現在では、
世界トップクラスの経済大国として存在している事は洋の東西等しく認める所です。
国家観には戸惑いの有る国民もそれは認識していると思います。

となると、「国家の主権は神聖にして犯すべからず」から、
少し進歩して、戦争という主権には沢山の制約を課す事もできるのでは、ないでしょうか?
その制約の極限が「戦争放棄」という、世界に冠たる日本国憲法だと思うのですが?
其れを60年いやこれからも実証続けられると思っています。此れはもう立派な国家像です。

無論お隣りのような「正直に狂った国」からの攻撃には自衛の為の武力行使は、
国民の総意(国会決議)により行うのは当然ですが、
上の考え方からも「先制攻撃や報復攻撃、友達の肩代わり武力行使」などは、
避けるべきだと思います。

此処まで、確り考えておけば「戦争に訴える権利」の無い国でも、
日本――今その国家観を作ろうとしています――も「国家の範疇」から、
阻害されないと思うのですが?

だから、余計に「美しい国」なんて言っていないで、
「戦争をしない国―国際的理想を先取りして半世紀―世界に冠たる国」と、
言って良いのでは無いでしょうか?

                   35斉