ナッツ甲さん みなさん > そういう話は、正直、辛いです。よい死に方は、誰も選ぶことは出来ない。 > 行いがいいから、きれいな体で苦しまずに亡くなる、とは、当人や家族への慰めや > 褒め言葉にはなるでしょうが、では苦しんでボロボロの体で死んだ人は、行いが > 悪かった、ということになるのでしょうか?
> 男爵さんは、そんなおつもりで書かれたのではないと思いますが、それはごく内輪での > 時に話して欲しかったなぁ、と思いました。
> でも、最後に言わせて! 人の最期に行いの良し悪しは関係ないと思います。
だいぶ時間がたってしまいました。 あれからいろいろ考えて いちおう私の考えを書いておきます。
結論としては 人間の最後とその人の人生における行いとは関係がないと考えています。
行いのよい人が平安に死んでいく という話を小学校のときの担任の先生から聞いて その記憶をハガキに書いて、約50年たって、その先生に送ったら すぐ返事が届いたのです。
もう亡くなった私の母がよく言っていましたが あんなに良い人が可愛そうな人生で終わるなんて まるでこの世には神様がいないと思うようなことが人生には起きるよ と何度かもらしていました。
誰からも評価されるよい人生をおくって幸せな最後でまとめる人 よい行いをしたはずが、あまり恵まれない晩年をおくる人 悪いことをして人に迷惑をかけて、ところがあんがい幸せな最後をむかえたという人 悪いことのしほうだいをして人から嫌われ、やはり最後は誰からも救いの手をさしのべられず自業自得を絵にかいたような人生でおわる人 と色々な人がいると思います。
以下にあるのは私の説で、よく教室で紹介するものです。
性格の良い女性 I 悪い性格の女性 ---------------------------------------------------------- 美人 A I B 醜い人 C I D
AもBもCもDも存在するのです。 しかし、人生経験の少ない若い男性は 女性はAかDだと思ってしまう(傾向がある?)
美人だからと高慢になりがちのBタイプもいれば 「さくらももこ」のように自称「お買い得の性格美人」のCもいるわけです。
行いの良い人は死ぬときも平安に死んでいく 悪人は最後はやはり悲惨 と思うのは、そうあってほしいという人間の自然な感情のようですが 真実は別のところにあるのではないかというのが私の考えでした。
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