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[No.7043] Re: 思い出すままに 大森時代‐3 投稿者:あや  投稿日:2015/05/13(Wed) 18:00
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思い出すままに 大森時代‐4

私って変わっているのだろうか

 昼時のこと、外が騒がしくなったので、祖母と出てみると、空地の向こうにある工場
の窓から火が吹き出していた。
 私は垣根を跨ぎ、空地を走りぬけ駆けつけた。工場は休みだったのか、人気はなく、
近所の人が駆けつけてきた。消防車も来て、消し止められたが、それほどは燃えていな
かった。焼けたところは、工場の一角で、弟の同級生一家が住んでいた。
 詳しいことはわからないが、工場の倉庫みたいなところに置いてあった、シンナーの
壜に何かの火が入ったと聞いたような気がする。なぜかつじつまが合わないような気が
するが、いまさら詮索するつもりもない。
 焼け出された家族は、両親と二人の子ども。そこで、どんなことになったのか、まる
きり覚えはないのだけれど、私が一家を家に来るように誘ったのは確かである。小娘の
私がなぜ、そんなことをしたのかわからないが、一家はわが家に来ていて、共同生活を
はじめたのだ。
 借家の小さな家は、昔のことで、家具はなく座敷をそっくり使えたとはいえ、祖母と
私、弟の二人と、その四人の家族で、満員すしづめだった。どうやって寝たのだろうか。
 病身の父親は、勤めもしていず、終日家にこもっていた。中国にいたこともあって、
廊下の七輪で水餃子を作ってくれた。講釈の多い人だったが、おいしかった。 
 そのとき、中国には水餃子しかないと聞いたように思う。
 大家さんはそんな私を非難の目で見ていても、黙認してくれていた。数か月、そんな
共同生活が続いたが、一家は移っていった。
 いま、考えると何ということをしたのだろうかと思う。それによって、思い出される
ことがある。二十歳を少しすぎたころのことか、会社の同僚に典ちゃんという女性がい
た。私よりは年下の、典ちゃんが、ある日家出をしたと家にやってきた。帰るように説
得したが帰らないと言う。他へ行かれるよりはと、家に置くことにした。そして、いっ
しに会社へ通った。
 一週間いて出て行った。男友だちと同棲をはじめたのだ。後年、男友だちは、刑務所
に入ったりして、彼女は生活のため、屋台を引いて飲み屋みたいなものをやっていたと
聞いた。
 それを見たことはないので、私にはとても想像はつかないし、できるものではな
かった。何度か報告に来たが、いつしか遠くなった。住む世界がちがったのだ。
そのころは祖母も健在だったが、その祖母がお金がなくなったと言ったことがある。彼
女が出て行ったあとのことだったが、疑いたくない。いい子だったことは確かなのであ

 こんなこともあった。十年ほど前のことになるが、私が通っていた神奈川区のケア先
に家政婦がやってきた。東京にアパートを借りていた彼女は、住み込みが決るまでは、
通わなくてはならず、遠いと言った。
会って初めて話をした日のことだったが、「それなら、私の部屋へ来れば」と言ったの
である。そんなことで、十日ほどもいっしょに暮らしただろうか。私が出かけるとき
は、予備の鍵を預けて、いつでも出入りできるようにした。
 住み込みが正式に決って、移って行ったが、そのとき、彼女が言った言葉は、「この
世の中に、斉藤さんみたいな人はいないわ。会ったその日から、泊めてくれるなんて」
だった。
 家に入ったって、盗むものはないし、盗まれたって困るものもありはしない。それよ
りも、困っている人が助かるならそれでいいのではないだろうかと、私は思うのだ。
今、彼女は山形に帰って、福祉の仕事をしている。


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