画像サイズ: 207×300 (7kB) | 大豆は何処からやって来た?(2) KANCHAN
私は、3月にブラジルを訪問して、どうして私の叔父一族が、 現状のような大農園の経営に成功したのか不思議でならなかった。
そこで帰国後に知り合いの多いNHKの関係者に探りを入れた りしていたのであるが、大方のブラジル理解はドラマ「ハルと ナツ」で取り上げられた、いわゆるブラジル移民物語の域を出 ないものであった。それはブラジル日系人についての暗いイメ ージが主であった。
そうこうする中に、私は、新橋にある「日本ブラジル中央 協会」に行って掲題の本を見つけたのである。ほとんど青天の 霹靂であった。
2005年現在の世界主要国の大豆生産量は下図の通りで、 ブラジルが第2位を占めているが、ここに至るには、実は壮大な ドラマがあったのである。実は、ブラジルの大豆生産量は、 1975年時点ではなんと430千トンにすぎなかったという。
嘗て、ブラジルの内陸部は、農業に適さないと思われていた、 セラードと呼ばれる荒れ地であった。ブラジルは1960年に新し い人工都市ブラジリアを建設したが、次なる課題は、その セラードの開発であった。
1974年田中角栄首相の肝いりで、国際開発機構(JICA)を 中心として、日本の民間資本とブラジル側の官民協力の出資 会社と共同で、「日伯セラード農業開発協力事業(プロセデ ール)」がスタートした。
日本の援助は、多量の石灰等の投与による、酸性土壌の 改良、その地に適する農産物の選定等の技術援助、ならびに 多額の資金援助であった。
ブラジル側が土地を確保した。そこに、日系人2世達が 勇んで、協力に飛び込んで行ったという。そして、それから 20年余りのうちに、ブラジルは南半球最大の農業国となった のである。
実は私の叔父たちは、ブラジル政府とJICAが乗り出す前の 段階から、COPIAという日系移民農業協同組合と、ミナス ゼライス州との協力により、サンゴダルド市でセラード開発 の実験的な事業を開始していた。
プロセデール事業はその実績・成果を基にはじめられた のであった。叔父たちはブラジル農業革命の先兵だったので ある。 資料 2005(平成17)年度の主要国の大豆生産量 単位:千トン
主要生産国 生産量 割合
アメリカ 82,820 39.4% ブラジル 50,195 23.9% アルゼンチン 38,300 18.2% 中国 16,900 8.0% インド 6,600 3.1% パラグアイ 3,513 1.7% 日本 200 0.1% その他 11,418 5.4%
総合計 209,976 100.0%
資料:FAOSTAT database(インターネットで公表)による
(2015.8.22)
注:KANCHANから送られたエッセイの掲載です(GRUE) |