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[No.7281] Re: 忘れ路の北イタリア〜3 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/09/14(Mon) 11:02
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Re: 忘れ路の北イタリア〜3
画像サイズ: 420×308 (80kB)
>  この切手は、1973年の発行なので、その後もう、40年以上も生き延びていることになる。(^^♪なお、切手の印刷面は、サン・マルコ広場が水面下に沈んだ様子を表し、右上には「ヴェネツィアを救おう」の文字が。

 と書きながらあとで、どこにもその文字のないことに気づいた。申しわけありませんが、該当写真を再掲させて頂きます。<m(__)m>ついでに若干説明を加えると、前方に見える2本の柱の上の像は、向かって左側が、この広場の名前となった聖マルコをかたどったライオンの像で、右側はテオドロ聖人の像である。

  ということは、正面が大運河ということになるが、それでいいのだろうか。(^^♪

 なお、ふつうサンマルコ広場と云っているのは、大聖堂のある広いスペースで、その手前というか、運河に近いところも小広場になっているのはご存じのない方も、多いのではないか。

 つまり、このところはL字型になっているわけである。また、これらの柱は、運河から船で着くと、早く大聖堂を見たい一心から、観光客の中には、意外と見落としている方も多いかも知れない。

 さて物知りウィッキーさんによると、中世には、2本の柱の間に死刑執行台があったそうで、縁起が悪いので、地元民はゼッタイ、この間を通らないのだとか。

 あっしなぞ、もう何度もこの間を通っているので、首の皮も今ではだいぶ厚くなっているのかも知れない。(^O^)

 カイガイ旅行の際、こうした歴史というか、文化的な背景を知ることは、面白くて、ためになると、あっしなぞは、ひそかに思っている。


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