画像サイズ: 420×308 (80kB) | > この切手は、1973年の発行なので、その後もう、40年以上も生き延びていることになる。(^^♪なお、切手の印刷面は、サン・マルコ広場が水面下に沈んだ様子を表し、右上には「ヴェネツィアを救おう」の文字が。
と書きながらあとで、どこにもその文字のないことに気づいた。申しわけありませんが、該当写真を再掲させて頂きます。<m(__)m>ついでに若干説明を加えると、前方に見える2本の柱の上の像は、向かって左側が、この広場の名前となった聖マルコをかたどったライオンの像で、右側はテオドロ聖人の像である。
ということは、正面が大運河ということになるが、それでいいのだろうか。(^^♪
なお、ふつうサンマルコ広場と云っているのは、大聖堂のある広いスペースで、その手前というか、運河に近いところも小広場になっているのはご存じのない方も、多いのではないか。
つまり、このところはL字型になっているわけである。また、これらの柱は、運河から船で着くと、早く大聖堂を見たい一心から、観光客の中には、意外と見落としている方も多いかも知れない。
さて物知りウィッキーさんによると、中世には、2本の柱の間に死刑執行台があったそうで、縁起が悪いので、地元民はゼッタイ、この間を通らないのだとか。
あっしなぞ、もう何度もこの間を通っているので、首の皮も今ではだいぶ厚くなっているのかも知れない。(^O^)
カイガイ旅行の際、こうした歴史というか、文化的な背景を知ることは、面白くて、ためになると、あっしなぞは、ひそかに思っている。 |