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[No.7550] 奪還されたパルミラ遺跡ー5年3ヶ月前の写真ー 投稿者:GRUE  投稿日:2016/03/29(Tue) 16:49
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「イスラム国」(IS)によって占拠されていたシリア屈指の世界遺産
パルミラが奪還されたとのニュースを聞いた。

パルミラは中東の3Pと呼ばれる超一級の遺産の1つである。他の2つ
はヨルダンのペトラ遺跡、イラン(ペルシャ)のペルセポリス遺跡である。

ISによって破壊されたのは、

 1.遺跡の象徴とされるベール神殿の本殿
 2.同じく象徴とされる列柱
 3.凱旋門
 4.バール・シャミン神殿
 5.遺跡西側の「墓の谷」の墳墓群
 6.パルミラ博物館(市街地にある)のライオン像

などとのことである。特に1と4の神殿が爆破され被害が大きいとのこと
である。

5年3ヶ月前、2010年12月にシリアを訪問する機会を得たので、その
時の写真をアップして、参考にしていただこうと思います。

因みに、訪問から3ヶ月後には、チュニジアから「アラブの春」が起こり
中東、北アフリカにあっと言う間に拡大していったのであった。

順にご紹介していきます。


[No.7552] ドローンが捉えた破壊されたパルミラ遺跡 投稿者:GRUE  投稿日:2016/03/29(Tue) 18:02
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5年前の写真をお見せする前に、ドローンが捉えた破壊されたパルミラ遺跡
をご覧下さい。今日アップされたものですね。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/27/palmira-drone-movie_n_9554932.html


[No.7553] Re: 奪還されたパルミラ遺跡ー5年3ヶ月前の写真ー 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/03/30(Wed) 14:08
[関連記事URL:http://http:/

> 「イスラム国」(IS)によって占拠されていたシリア屈指の世界遺産
> パルミラが奪還されたとのニュースを聞いた。
>
> パルミラは中東の3Pと呼ばれる超一級の遺産の1つである。他の2つ
> はヨルダンのペトラ遺跡、イラン(ペルシャ)のペルセポリス遺跡である。
>
> ISによって破壊されたのは、
>
>  1.遺跡の象徴とされるベール神殿の本殿
>  2.同じく象徴とされる列柱
>  3.凱旋門
>  4.バール・シャミン神殿
>  5.遺跡西側の「墓の谷」の墳墓群
>  6.パルミラ博物館(市街地にある)のライオン像
>
> などとのことである。特に1と4の神殿が爆破され被害が大きいとのこと
> である。
>
> 5年3ヶ月前、2010年12月にシリアを訪問する機会を得たので、その
> 時の写真をアップして、参考にしていただこうと思います。
>
  GRUE さん、みなさん、こんにちは。

> 因みに、訪問から3ヶ月後には、チュニジアから「アラブの春」が起こり
> 中東、北アフリカにあっと言う間に拡大していったのであった。
>
> 順にご紹介していきます。

 2の列柱も、相当の高さがありそうで、これが破壊されたとなると、ほんとうに残念ですね。

 4の神殿はわりと小さいようですね。

 5の墳墓群。これは地上にも、地下にもあったようで、かなりの規模ですねえ。壁画もやられましたか?

 だいたい、ISつーのは、何万だか何十万だか、いるというのに、前歴が美術専攻とかいうのは、皆無だったんですかね。大悪人と云われるヒットラーでさえ、若い頃は、熱心に絵を描いていたっていうのに。

 6の パルミュラ博物館のライオン像というのは、館の玄関脇にある、両足の間に、1頭の羚羊を取り押さえた姿の、あの大きな石像のことでしょうか?




・。


[No.7562] Re: 奪還されたパルミラ遺跡ー5年3ヶ月前の写真ー 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/03(Sun) 17:14
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紋次郎さん、みなさん、こんにちは、

レスが遅くて申し訳ありません。

>  2の列柱も、相当の高さがありそうで、これが破壊されたとなると、ほんとうに残念ですね。

その通りで後で写真をお見せします。

>  4の神殿はわりと小さいようですね。

保存状態がよく綺麗な神殿でした。それを壊すとは。

>  5の墳墓群。これは地上にも、地下にもあったようで、かなりの規模ですねえ。壁画もやられましたか?

地上部は墓とは思えませんでした。又、地下室は丸で宮殿みたいに輝いて
ました。これも壊されたんですかね。

>  だいたい、ISつーのは、何万だか何十万だか、いるというのに、前歴が美術専攻とかいうのは、皆無だったんですかね。大悪人と云われるヒットラーでさえ、若い頃は、熱心に絵を描いていたっていうのに。

アフガニスタンのバーミヤン大石仏をダイナマイトで破壊している時の
映像がよみがえりますね。なんという野蛮な文化破壊かと思ったものです。

>  6の パルミュラ博物館のライオン像というのは、館の玄関脇にある、両足の間に、1頭の羚羊を取り押さえた姿の、あの大きな石像のことでしょうか?

それです。頭を落とされたが、破壊度はそれほどでもないと書かれてますが。
修復以前の臼杵の石仏のような状態でしょうかね。

なんとも無念なことです。


[No.7561] パルミラ遺跡の地図 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/03(Sun) 14:05
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パルミラ遺跡の地図
画像サイズ: 686×345 (80kB)
例によって続くアップが遅くなり申し訳ありませんでした。

写真のアップはほとんど用意できているのですが、その前に
パルミラ遺跡の地図が必要と思い探しての準備が遅れました。

なんとか地図ができたのでアップします。1から6まで対応
する遺跡の名前を赤矢印で示しましたのでご参照ください。

なお、3番ですが、最近の新聞では凱旋門と紹介されていま
すが、私の学んだのは「記念門」となっていましたので、
そのように書かせていただきました。


> ISによって破壊されたのは、
>
>  1.遺跡の象徴とされるベール神殿の本殿
>  2.同じく象徴とされる列柱
>  3.凱旋門
>  4.バール・シャミン神殿
>  5.遺跡西側の「墓の谷」の墳墓群
>  6.パルミラ博物館(市街地にある)のライオン像
>
> などとのことである。特に1と4の神殿が爆破され被害が大きいとのこと
> である。


[No.7568] Re: パルミラ遺跡の地図 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/04/06(Wed) 15:02
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GRUE さん、こんにちは。

パルミラの考古学地区を奪還したシリア軍の公開した、最新の写真です。いずれも先月末、撮影されたもの。これでみると、  

 #11.      1キロメートルに及ぶ列柱は健在
 #3,4,7,13  丘の上の城塞も健在☆
 #5       一番重要な、バール神殿は壊滅か
 #9       古代ローマの神殿は健在

  のように、あっしには、思えますが。また、例のライオン像については写真がないので、有無の判断があっしには、出来ません。

> なお、3番ですが、最近の新聞では凱旋門と紹介されていま
> すが、私の学んだのは「記念門」となっていましたので、
> そのように書かせていただきました。

 GRUEさんに逆らうわけではありませんが、あっしの資料は昭和54年発行の世界の博物館シリーズ第18巻の「シリア国立博物館」なので、『凱旋門』としており、たしかに少ぅし古いようです。しかし、

 なぜ凱旋としたかを考えると、この門はローマのコンスタンチン帝の凱旋門と同じ構造を持っているのです。つまり、三通路制です。しかも、柱の装飾も、葡萄唐草文をを採用し、いわゆる凱旋門にふさわしい品格を備えているようです。そこで、あっしは、凱旋門でも、いいように思いますが…。←ま、そうはいっても、あっしもこの方面の専紋家じゃあないし、それどころか、云ってみれば、マッタクの紋外漢だからなあ。(-_-;)

 ☆写真説明では、すべて城塞、あついは要塞としていますが、これは13世紀に遡るマムルーク朝の建てた城であって、その下の列柱を、ディオクレアティアヌス城塞としています。ということは、古代ローマのころにできたもので、西暦後の建築物なのですね。

http://www.ilpost.it/2016/03/28/palmira-prima-e-dopo-lisis/syria-conflict-palmyra-9/


[No.7569] Re: パルミラ遺跡の地図 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/04/06(Wed) 15:12
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 慌ててやったので、間違いが多く出てしまいました。

>誤  #11.      1キロメートルに及ぶ列柱は健在

正  #1       1.1キロメートルに及ぶ列柱は健在


>   のように、あっしには、思えますが。また、例のライオン像については写真がないので、有無の判断があっしには、出来ません。

>  ☆写真説明では、すべて城塞、あるいは要塞としていますが、これは13世紀に遡るマムルーク朝の建てた城であって、その下の列柱を、ディオクレティアヌス城塞としています。ということは、古代ローマのころにできたもので、紀元後の建築物なのですね。


[No.7575] Re: パルミラ遺跡の地図 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/07(Thu) 09:49
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紋次郎さん、みなさん、おはようございます。

> パルミラの考古学地区を奪還したシリア軍の公開した、最新の写真です。いずれも先月末、撮影されたもの。

最新の写真ありがとうございます。大変参考になります。

>  #11.      1キロメートルに及ぶ列柱は健在

えー、そうなんですが、1km以上ありますね。で、全てを比較検討するには大変です。もう少し時間がかかるのではないでしょうか。

>  #3,4,7,13  丘の上の城塞も健在☆

アラブ砦のことですね。一見したらそのようですね。ここはISも見張りに使ったのではないかと推察します。

>  #5       一番重要な、バール神殿は壊滅か

昨日のA新聞で見ましたが、外の柱をのぞいて、本殿全体ががれきに化していました。つまり爆薬で全破壊したようです。

ここは、もう像とかはなく又装飾などもすべて博物館などの移動されていました。空でした。そして、モスクにも使われていたこともあるもので、南北の神像のあったくぼみ部分は煤で黒くなっていました。

つまり、宗教的な意味合いも消えていたのに建物を完全破壊したということは、宗教的な理由での破壊でもないということになります。あえて言えば破壊のための破壊としかいいようがない。

これまで破壊されたら、復元ができるのかどうか分かりません。

泣くに泣けない心境です。

>  #9       古代ローマの神殿は健在

これはどの神殿でしょう?

バールシャミン神殿は、ベール神殿本殿と同じく完全破壊されたのではないかと心配しています。

>   のように、あっしには、思えますが。また、例のライオン像については写真がないので、有無の判断があっしには、出来ません。

新聞の記述では、頭を切り落とされたのではと推測しているのですが、これなら修復は
そう難しくはないかもしれません。

>  なぜ凱旋としたかを考えると、この門はローマのコンスタンチン帝の凱旋門と同じ構造を持っているのです。つまり、三通路制です。しかも、柱の装飾も、葡萄唐草文をを採用し、いわゆる凱旋門にふさわしい品格を備えているようです。そこで、あっしは、凱旋門でも、いいように思いますが…。←ま、そうはいっても、あっしもこの方面の専紋家じゃあないし、それどころか、云ってみれば、マッタクの紋外漢だからなあ。(-_-;)

これは今はどちらでもいいことにしませんか。いずれ、この違いは議論になるはずですから専門家に任せましょう。ただ、シリアの現地学者と欧米の学者で異なるかもしれないという気はしています。

>  ☆写真説明では、すべて城塞、あついは要塞としていますが、これは13世紀に遡るマムルーク朝の建てた城であって、その下の列柱を、ディオクレアティアヌス城塞としています。ということは、古代ローマのころにできたもので、西暦後の建築物なのですね。

遠く丘の上に見えるアラブ城砦(要塞)は新しいもの(13−17世紀)ですね。いつの時代でも見張り所として最適でしょう。

ディオクレアティアヌス城塞は紀元1−2世紀頃に古代ローマ軍が築いたものですね。


[No.7564] 1 ベール神殿  投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/04(Mon) 14:49
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1 ベール神殿 
画像サイズ: 800×533 (94kB)
正面入り口(西側)から神殿域に入って広大な内部域を見る。

中央左手に見えるのが本殿。

右手に並ぶ列柱は、神殿の南周壁に沿って並ぶ列柱群。


[No.7565] 東側から見た本殿  投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/04(Mon) 14:55
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東側から見た本殿 
画像サイズ: 800×533 (95kB)
反対の東側から見た本殿。


[No.7576] Re: 東側から見た本殿  投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/07(Thu) 10:42
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どうやらこれは爆薬で完全破壊され、がれきと化したようです。残念です。

果たして復元できるものか?


[No.7566] 本殿内部  投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/04(Mon) 15:04
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本殿内部 
画像サイズ: 800×533 (94kB)
ベール神殿本殿の内部。

南北の端に神像安置所があり、北がメインであり南に移動式の同じ神像があったはずという。これは西アジア、特にシリアに特有の様式。

神像は三位神像で、中央に最高神ベール、右に太陽神ヤルヒボー、
左に月神アグリボールが侍神としてあった。

後にローマの神が、そしてキリスト教が入り、更にイスラム教が入ってくるなどして、神像などは変更され、破壊されてしまっている。

特にイスラム教は偶像崇拝を嫌うので、多くの場合、像の類は破壊され、仮に残っても顔が削られていたりする。

今回は、建物自体が爆破破壊されたのではないかと推測される。今後の報告を聞かないとよくは分からないが。


[No.7567] 3 記念門 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/05(Tue) 11:14
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3 記念門
画像サイズ: 800×533 (94kB)
ベール神殿の次は順番から言って「記念門」なのでこれを先に紹介します。

なお、最初に述べましたが、最近の新聞記事などでは凱旋門と書いているものですが、私は「記念門」で紹介します。

ベール神殿を出ると、道路を隔てて広大な「都市遺跡」が広がるのですが、その東の入り口が記念門です。この近くに多くの駱駝がたむろしていました。

主門と2つの脇門からなる大変綺麗な門であることが分かるでしょうか?
こちらから見たので分かりにくいですが、この門は上から見ると実は3角形をしています。主門の間から2の列柱道路が垣間見えていますが、これが屈折しているのでそれを考慮してそうしているようです。 

このほれぼれするような綺麗な門がどのように破壊されたのでしょうか?


[No.7570] 2 列柱道路 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/07(Thu) 08:53
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2 列柱道路
画像サイズ: 800×533 (93kB)
列柱道路は1km以上あるので、多数の写真を比較するのは難しい。

その内のわずか2、3枚をご紹介します。

まずは、道路の中ほどに立って西方向を見た写真。

道路の幅や列柱の高さ、装飾などが分かるでしょうか。各柱の上部には、人物像が乗っていたそうです。


[No.7571] Re: 2 列柱道路 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/07(Thu) 08:59
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Re: 2 列柱道路
画像サイズ: 800×533 (94kB)
道路から少し出て、つまり脇から東方向を眺めた写真。


[No.7572] 四面門 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/07(Thu) 09:07
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四面門
画像サイズ: 800×533 (96kB)
列柱道路の中程にある美しい「四面門」。これは残っているのだろうか?

なお、この門の向こう側(北側)に、4のベールシャミン神殿がある。

更に遥か遠くに、アラブ砦(要塞)がある。


[No.7573] 4 バールシャミン神殿 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/07(Thu) 09:11
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4 バールシャミン神殿
画像サイズ: 800×533 (93kB)
バールシャミン神殿です。よく保存されてるのが分かりますか?

これはキリスト教会やモスクにも転用されていたからのようです。

しかし、これもひょっとしたら完全破壊されたのではないかとおそれています。


[No.7577] 5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/08(Fri) 08:26
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5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群
画像サイズ: 800×533 (95kB)
遺跡西方向に「墓の谷」があります。そこには当時のパルミラ人の墳墓群があります。

その中で有名な「エラベール家の塔墓」を紹介します。

この墓は、貴族エラベール家の塔墓ですが、何故塔墓というかは写真を見れば一目瞭然でしょう。

この墓は、地上部と地下部からなりますが、まずお見せしているのは地上部です。これがいかに巨大であるかは、人間の大きさと比較していただくと分かります。


[No.7578] Re: 5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/08(Fri) 08:33
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Re: 5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群
画像サイズ: 800×533 (97kB)
次に地下部の写真です。まるで宮殿のように見えます。この下部の部分に一族が眠っている訳です。当時のパルミラ人の死生観も見えてきます。

この塔墓が爆破されたとの声も聞こえてきています。一体どうなっているのか気にしています。


[No.7581] Re: 5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/04/09(Sat) 22:25
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> 次に地下部の写真です。まるで宮殿のように見えます。この下部の部分に一族が眠っている訳です。当時のパルミラ人の死生観も見えてきます。

紀元103年に出来上がった非常に古い、保存度もいいエラハベル塔墓。もうひとつ、上部の崩れかかった塔墓があるはずです。 GRUEさんの写真で云うと、右側の丘の前に小さく写っているのが、それでしょうか。地下室の部分を写した、この写真は貴重だと思います。

> この塔墓が爆破されたとの声も聞こえてきています。一体どうなっているのか気にしています。

 残念ながらそのようです。

 tombe a torreは塔墓を表す言葉と思いますが、この記事の見出しでISは塔墓も吹き飛ばした、とあります。シリア国立博物館館長の言葉として、かれらはバアル神殿、バアル・シャミン小神殿の破壊だけでは満足せず、一番保存状態のいい墳墓遺跡にまで手を付け、これらの塔墓を吹き飛ばした、と。

 真ん中辺に、完全に更地になった、バアル神殿のサテライト写真があります。

http://www.repubblica.it/esteri/2015/09/04/news/tombe_a_torre_palmira-122193387/#gallery-slider=121945834


[No.7584] Re: 5.遺跡西にある「墓の谷」墳墓群 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/11(Mon) 14:40
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紋次郎さん、みなさん、こんにちは、

> > この塔墓が爆破されたとの声も聞こえてきています。一体どうなっているのか気にしています。
>
>  残念ながらそのようです。

>  tombe a torreは塔墓を表す言葉と思いますが、この記事の見出しでISは塔墓も吹き飛ばした、とあります。シリア国立博物館館長の言葉として、かれらはバアル神殿、バアル・シャミン小神殿の破壊だけでは満足せず、一番保存状態のいい墳墓遺跡にまで手を付け、これらの塔墓を吹き飛ばした、と。

詳しい情報ありがとうございます。

人類共通の貴重な財産という観点が欠落してしまっている人達なんですね。
二重に残念です。

>  真ん中辺に、完全に更地になった、バアル神殿のサテライト写真があります。
>
> http://www.repubblica.it/esteri/2015/09/04/news/tombe_a_torre_palmira-122193387/#gallery-slider=121945834

ありがとうございます。私が見た写真は、建物が爆薬で破壊され、横から見ると
がれきの山になっていました。破片が小さくかつ遠くまで飛散しているので、
復元が大変難しいでしょう。(地震による崩落とは違いますね)


[No.7579] 6.パルミラ博物館のライオン像 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/08(Fri) 09:20
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6.パルミラ(別名タドモル)博物館の中庭に置かれていたライオン像 ですが、残念ながら写真を撮っていませんでした。

従って、申し訳ないですが、ネットで探してきたものを紹介します。次のURL、

http://jp.wsj.com/articles/SB12111607311925493378004581630100196542680

のスライドショーで、5番目が破壊前のもの、6が破壊されたものです。
顔の鼻の部分を中心に破壊されているのがわかります。これなら、なんとか修復可能ではないでしょうか。

その他のものの破壊にはひどいものがあります。


[No.7580] 終わり 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/08(Fri) 09:27
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ここまでで終わりにします。

復元は簡単ではないでしょうが、国情が安定し世界からの助けを得て回復がなされることを願っています。

シリア訪問が再開され、誰でもパルミラを訪れることができるようになるのを待っています。


[No.7582] Re: 終わり 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/04/09(Sat) 22:29
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  GRUEさん、みなさん、こんばんは。

> ここまでで終わりにします。

  貴重な写真、また丁寧な説明を有難うございました、<(_ _)>

> 復元は簡単ではないでしょうが、国情が安定し世界からの助けを得て回復がなされることを願っています。

> シリア訪問が再開され、誰でもパルミラを訪れることができるようになるのを待っています。

 部分的な破壊はいいとして、完全な破壊はどうしようもありませんね。はやくこういう
非建設的なやからが総退場して、平和な友好的な中東世界が実現するといいですね。


[No.7583] Re: 終わり 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/11(Mon) 14:31
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紋次郎さんみなさん、こんにちは、

>  部分的な破壊はいいとして、完全な破壊はどうしようもありませんね。はやくこういう
> 非建設的なやからが総退場して、平和な友好的な中東世界が実現するといいですね。

そうですよね。復元への世界の期待は大きく多いですから必ず進むと信じています。
非生産的な破壊主義は一時大きく見えても、結局どんどん支持を失って消えて行き
ます。


[No.7587] 不死鳥の門〜パルミーラ〜 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/04/20(Wed) 11:01
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  イスラム国よ、思い知ったか。パルミラの門は何度でも蘇える。このたび、英京ロンドンの、トラファルガー広場に、シリアはパルミラの、ISが破壊した古代ローマのセプティミウス・セウェルス帝が造らせたという、あの凱旋門(記念門)が蘇えったのだ。

 この精密なコピーは、イタリアはトスカーナの会社トールアートが、3dプリンターを駆使して実現したという。

 本物そっくりのこの再生門は、この広場に3日間展示されたあと、ニューヨーク、ドバイ、ヨーロッパ諸都市を巡業することとなる。

 日本や茨城は、ざんねんながら、巡業先のリストに入っていないらしい。

http://www.corriere.it/foto-gallery/esteri/16_aprile_19/arco-palmira-distrutto-dall-isis-ricostruito-la-stampante-3d-ora-londra-a0b71780-063b-11e6-98ad-d281ab178a74.shtml

 写真#1,9,11,13 背景の建物はナショナル・ギャラリーと思われる。それから#5、除幕式で演説するロンドン市長の、ボリス・ジョンソン氏である。


[No.7595] Re: 不死鳥の門〜パルミーラ〜 投稿者:GRUE  投稿日:2016/04/22(Fri) 16:07
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紋次郎さん、みなさん、こんにちは、

>   イスラム国よ、思い知ったか。パルミラの門は何度でも蘇える。このたび、英京ロンドンの、トラファルガー広場に、シリアはパルミラの、ISが破壊した古代ローマのセプティミウス・セウェルス帝が造らせたという、あの凱旋門(記念門)が蘇えったのだ。

嬉しいニュースです。パルミラは永遠に不滅ですよね。そうでなくてはいけない。
どうだ見たかISめ! 言ってみたい。

>  この精密なコピーは、イタリアはトスカーナの会社トールアートが、3dプリンターを駆使して実現したという。

3Dプリンターーですか。大きいですが、部分的に作ってくみ上げたのでしょうか。

>  本物そっくりのこの再生門は、この広場に3日間展示されたあと、ニューヨーク、ドバイ、ヨーロッパ諸都市を巡業することとなる。
>
>  日本や茨城は、ざんねんながら、巡業先のリストに入っていないらしい。

残念。

> http://www.corriere.it/foto-gallery/esteri/16_aprile_19/arco-palmira-distrutto-dall-isis-ricostruito-la-stampante-3d-ora-londra-a0b71780-063b-11e6-98ad-d281ab178a74.shtml
>
>  写真#1,9,11,13 背景の建物はナショナル・ギャラリーと思われる。それから#5、除幕式で演説するロンドン市長の、ボリス・ジョンソン氏である。

ロンドンでですか? どこでも悔しく思ってるんですね。


[No.7602] パルミラに平和戻る 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/05/06(Fri) 22:23
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> 「イスラム国」(IS)によって占拠されていたシリア屈指の世界遺産
> パルミラが奪還されたとのニュースを聞いた。

文化にマッタク理解のないバーバリアンISのやからをなんとか追い払って、いま平和の戻ったパルミラの地に、美しい楽の音が響き渡った。

楽団はロシア、サンクトペテルブルク在のマリインスキー劇場付属オーケストラ。指揮棒を振ったのは、ワレリー・ゲルギエフです。

 なお、氏は現在ゲオルク・ショルティ創設のWorld Orchestra for Peaceの指揮者を務めているそうです。また、2004年には来日し、サントリーホールで公演を行っています。


http://video.repubblica.it/dossier/iraq-avanzata-is/palmira-il-concerto-dell-orchestra-di-san-pietroburgo/238365/238222?ref=HREC1-13


[No.7607] Re: パルミラに平和戻る 投稿者:GRUE  投稿日:2016/05/21(Sat) 19:40
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紋次郎さん、こんばんは、

書き込みに気付きませんでした。

あの円形劇場でサンクト・ペテルブルグの楽団が演奏したんですね。
なんとも言えない感慨を覚えます。この劇場は破壊されなかったので
いい雰囲気が残っています。

そこでの演奏、そのありさまが浮かんできます。

ありがとうございました。