画像サイズ: 600×450 (65kB) | 元禄の薩長連合
「大日本史」を書いた水戸光圀 南朝正統論(足利尊氏は忠臣、楠木正成は逆賊 これを逆転させた) 光圀は版籍返上の考え? 光圀は尊皇敬幕
そういう噂を立てたのは、長州藩と薩摩藩? かれらの狙いは、尾張徳川家と水戸徳川家の対立分断 そして薩長連合で倒幕計画
介(すけ)さんは薩摩藩 覚さんは長州藩 大日本史編集についての史跡調査と古文書探査と称して、薩長の動きを光圀はさぐらせようとするが.....
しかし、介さんも覚さんも、領国に入れず。
ただ下記の事実を探ってきて、水戸光圀に報告した。 長州藩の元旦の"獅士の廊下の儀"(今年は徳川を討ちますか 今年はやめておこう) 薩摩藩の"妙円寺参り"(島津義弘を偲び、武士たちが鎧兜に身を固め城下から妙円寺にお参り)
水戸光圀のところに、威しに来た薩摩の使いに対して 光圀は反対に薩摩の行動はすべて見とおしていると言い返す。
琉球国は清国の冊封を受けているが、薩摩藩は琉球国を支配していることになっている。幕府には報告せず。 この情報を朱舜水から光圀は得ていたのだ。 琉球国の対中国朝貢貿易から甘い汁を吸う薩摩藩 光圀は知っていた。
大活字 童門冬二集 げんだい時代小説
東大農学部はかつて水戸屋敷だった。
ここで儒学者朱舜水から光圀はシナソバ(ラーメン)をご馳走になった。
ということを 大学構内で思う人は少ないでしょう。
そもそも 大学は江戸時代には大名屋敷だったのです。
赤門も大名屋敷の由来。
歴史を思いながら本郷街道を散歩。 |