[No.161]
Re: 私の昭和史
投稿者:男爵
投稿日:2013/11/28(Thu) 13:04
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> > 昭和18年に小学校に入学した。
> > 入学式には姉に連れて行ってもらった。 母は農作業が忙しくそれどころではなかった。
学校には疎開していた生徒が数人いた。
私たちも食べ物に困ったが、疎開者はもっとひどく、学校へ弁当を持ってこられず
いつもボンヤリして青白い顔をしていた。
今でも、疎開してきた生徒のことが思い出される。
いつかの正月、餅を学校へ持って行き、机に入れて置いたが
それがなくなり騒いだことがあった。
食糧難は厳しさを加え、白飯に増量材が利用された。
大根、大豆、麦、山菜、海草等であるが、この増量材は糧(かて)と呼ばれ
これを加えた糧飯を食べた。
来る日も来る日も、夕飯は米粒無しである。
小麦粉とカボチャのひっつみ(すいとん)を食べ続けた。
それでも不思議と身体は丈夫だったように思う。
小作百姓が多かったが、農家でも配給を受けなければ食べられなかった。
農業生産力は今とは比較にならない程低かった。
戦時は、学校のグランドが全部畑にされ、大根、ソバ、ジャガイモ等が栽培された。