タイトル | : 長生きの意義? |
投稿日 | : 2004/10/04(Mon) 11:24 |
投稿者 | : 熟年人 |
長生きの意義
10年余り前、定年を間近に控えて同僚が奥さんを亡くした。
また、定年後まもなく奥さんを亡くした同僚も居る。
定年後の第二の人生を夫婦で楽しく暮らすことを夢見て、長いサラ
リーマン生活を続けて来たと思うのに気の毒に思った。
僕の場合はここ十年、海外旅行をしたり、美味しいものを食べた
り、二人で映画を見たりと、楽しんで来た。
ところが最近太陽電池の腕時計を買ったら、電池寿命が20年以上
とかで愕然とした。
僕が死んだのちも「時計ばかりがコチコチと・・・」
平均寿命から考えてあと15年や20年は生きるかも知れない。
しかしガンなどで余命3年とか宣告されたのと同じように、例えば
余命15年以下と宣告されたのと同じではないか。
その余命を楽しく過ごす意義は何処にあるのか。
もっと海外旅行をする? もっと食べ歩く?
それは自己満足?
先日、あるビデオ映像祭で「QE2の思い出」を発表した人が居た。
QE2に乗れる人は羨ましいけれど、このような機会に自慢でもし
なければ自己満足では飽き足らないのか?
人間の欲望にはキリがないし、一方寝たきりになってまで長生きす
るのはどうなのか。
ガン患者などの尊厳死が問題になるが、寝たきりの尊厳死はどうな
のか。
熟年世代が人口の1/4だとか、行政やメロウ倶楽部は熟年を楽し
く暮らすことを考えて居るみたいだが、いい加減人生を楽しんだら長
生きする必要も無くなったような、ニヒルな気持ちになった。