シニアー相談室(閉鎖) 
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タイトル Re: Re7: 長生きの意義?
投稿日: 2004/10/06(Wed) 19:48
投稿者らごら

toshyさん


> > 植物は子孫を残そうということを意識しているのでしょうか?
>  意識と言うのが問題ですが、花も木も如何に種をばらまくか、自
>然と言うか神 の摂理と言うのか、感心させられる事ばかりです。

 仰る通りだと思います。
この自然と云う言葉がいいですね。
自はおのずから、然はしからしむる。ここには虚偽も計らいも見栄もない、自分のありのままの生き方が当然なるべく姿になってゆくということを感じさせてくれます。
いやちょっと違うな? うまく表現できません。

>  熟年人さんの疑問?は長生きの努力は関係無く、トーマスさんの
>言われる「天命で長生き」した場合、トーマスさんのように趣味に生
>きるか、えーさんのよう
> にボランティアに生きるかなのでしょうか。

 よく分かりませんが、僕はあまり長命だからとか短命だからだとか云う寿命の長短にこだわらない方がよいのではないかと思います。
長生きの意義というより、人生の意義は生きている間にどのくらい仕事をしたかと云うことではないかと思うのです。
 何で評価出来るかと云えば、仕事の量と年数を積算したものがその人の実績になるのではないかと思っています。
いくら長生きしてもボケーと何もしないで100何才まで生きた人と、大きな仕事をして50才で死んだ人があった場合、後者の人が意義有る人生を送ったと云うことにならないでしょうか?
 社会的に有意義な仕事をした人は、後々まで歴史上の偉人として語り継がれて、社会的に意義有る人生を送ったと云うことでしょう。
けれど、意義有る人生を送ったか送らないかを評価できるのは自分自身しか居ないような気がします。
僕なんかはボッケーと人生を送ってきた人の仲間です。

 西田幾多郎先生の「善の研究」によれば、人生の意義に関して、
「人間が人間の天性自然を発揮するのが人間の善である」
また、「世人は往々善の本質とその外殻とを混ずるから、何か世界的人類的事業でもしなければ最大の善ではない様に思っている。併し我々はいかに事業の種類はその人の能力と境遇にとよって定まるもので、誰にも同一の事業はできない。併し我々はいかに事業が異なっていても、同一の精神を以て働くことはできる。」
となっています。
話が変な方向に行きそうなので、この辺で止めます。


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