[No.15537]
Re: 「学ぶ」から「使う」外国語へ
投稿者:
投稿日:2010/07/23(Fri) 11:25
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男爵さん、みなさん、
> 関口一郎:「学ぶ」から「使う」外国語へ
> 語学の先生方と
> 大学の語学教育はどうあるべきかを議論したことがある。
> 語学の先生はたいてい文学部に属しているので
> シェークスピアやゲーテやトーマス・マンの文学を研究することが目的だから
> 教材に文学作品を使いたがる。
> 科学啓蒙書とか工業カタログのような理系の資料はまず使いたがらない。
> いっぽうの学生は、語学を文学を学ぶために学ぶのではなく、道具として必要としているから
> その違いは大きい。
> 文系の学生はともかく、理系の学生は語学の教材として、文学作品より専門の理系に関係のある資料のほうが興味をひきやすい。
ここんとこ正に仰るとおりです。文系でも商社銀行に就職するものにトーマスマンは必要ないように思われます。しかし、現状はどうでしょう。
あっしもその文系ですが、トーゼン2年目の教科書は文学作品でした。おそらく理系でも同じようなテキストを使っていたのでしょう。文系に理系のテキストは適当でないので、これはこれで良かったと思います。
仰るように理系には理系のテキストといっても、そうしたテキストを扱う本屋がまず存在しないし、それを教える教師もいないでしょう。ドイツとかフランスではそこんとこ、どうなっているのでしょう。
日本で語学を教える〇〇講座の先生、大抵は文科系のようですね。あっしがイタリア語をならった某先生も、自国の大学の日本語科でまなび、専攻は日本映画でした。また、吉本ばななを訳して有名になったジェレヴィーニも文系に入るでしょう。
してみると、外国の学校(日本語科)自体に、理系の先生がいないのでしょう。じつは滞日中のフランス人に、あっしが旅行中、じつに流暢な日本語をはなすフランス人がいたと書いたら、いまフランスには日本語を話し、日本を愛する若者が増えています。これはマンがなどのせいです、という返事を寄越しました。書いてる本人もそんなことで日本に来ているのでしょう。
したがってこういう手合いが日本に来て語学の先生になるのでしょう。だいたい日本人でも、理系のひとは、語学の教師になんぞ成りたがらないのでは?