石川啄木との友情を中心に アイヌ語研究者としての金田一京助の一生がまとめられている。
この本を読んで驚いたのは 石川啄木が、実質的に金田一京助の仲人役をしたということ つまり啄木は、出入りで顔見知りの貸本屋の主人の山本太市郎に頼んだら 林静江を紹介され 啄木や山本立ち会いのもとに見合いをしたのである。
こういう経過を知ると ただでさえ人見知りしない啄木が 新婚の金田一京助夫妻のところに出入りして 金を借りるのに大きな態度を示すのも なんとなく理解できる。
啄木は、おれのおかげだ、と内心そう思っていたのだろう。 静江はしかし、女なので、それとこれとは別だと 金田一京助に啄木と縁を切るように迫ったらしい。
アイヌ語研究で苦労した話は 中学校の教科書で読んだことがある。 この本でも、樺太でアイヌ語を収集するとき キーワードのヘマタ(what)を知ってから 作業がはかどったことが述べられている。
別れの言葉 「ピリカノ・オマン」 「ピリカノ・オカヤン」 これを読むと、韓国のサヨナラと同じだということがわかる。 ピリカノ・オマン(よく・行け) ピリカノ・オカヤン(よく・あれ)
アンニョンヒ カセヨ → 「ピリカノ・オマン」(よく・行け) アンヨンヒ ケセヨ → 「ピリカノ・オカヤン」(よく・あれ)
ピリカノやピリカは good のこと ドイツ語ではグーテン・ターク ブルガリア語ならドボル・デン マガンダン・ガビィ(?) で中国語では、好日というかというと、どうもそうではないようです。
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