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[No.14622]
Re: 木曽福島
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/26(Thu) 09:10
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画像サイズ: 816×612 (46kB)> 中央線に乗り
> 木曽福島で降りたことがあります。
いかにも優雅な{厠}を見つけました。
厠は中国でも通じます。
中国語ができなくとも、厠の漢字を書けば
案内してくれます。
[No.14621]
木曽福島
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/26(Thu) 09:07
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画像サイズ: 1506×551 (95kB)一年前 えーさんを訪ねて行ったときのことです。
中央線に乗り
木曽福島で降りたことがあります。
外国人もあこがれる木曾。
木曾の架け橋を見るため
ここからバスに乗り換えたようです。(記憶があやふや)
[No.14620]
Re: フェルメール展
投稿者:
投稿日:2011/05/25(Wed) 11:45
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> > また「地理学者」や「天文学者]の着ている綿入れのようなのも、当時の学者の間で人気の衣装だったとか。
>
> 当時の人気な日本の着物スタイルを取り入れたようです。
> 私がみちのくに来た時
> 学生が寮に入っていて
> 彼らの日常の冬の服装として
> 綿入れ半纏のようなものを着ていましたが
> それは当地の言葉で「ドンブク」というのですが
> まさにこのドンブクを地理学者の絵から連想しました。
フェルメールは17世紀の人。欧州での日本ブームは19世紀のものが有名です。たしかに17,18世紀にもそうしたものはありましたが、それはシノワズーリー(中華趣味)の一環としての、ブームではなかったでしょうかね。
「地理学者」、「天文学者」は、17世紀の後半に描かれています。当時のブームは東洋趣味といった程度ではなかったか、そんな気がします。その当時の人には中国も日本も一緒くたではなかったか、そんな疑紋も湧いてきます。
偽オランダ人こと、シーボルトがオランダに『帰った』のは1830年、19世紀です。かれが帰国後、著した「日本」は欧州に日本ブームを起こしたように思います。
ライデンの、シーボルト博物館の日本コレクションは多岐にわたっています。かれは飼い犬にまで、サクラという日本語の名を付けていました。たしか館内にその剥製があったような。←あやふや。
もちろん、以上の書き込みは、1シロートの感想ですが…。(*^_^*)
[No.14619]
西安の阿倍仲麻呂の碑
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/25(Wed) 05:36
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画像サイズ: 475×299 (22kB)> 西安の阿倍仲麻呂の碑です。
>
> これを見にはじめて西安に行ったのは
> 1989年秋。
子どもが
ここで「かくれんぼ」をしていました。
イー・アル・サン・スー
[No.14618]
テレビ
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/24(Tue) 21:04
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画像サイズ: 786×668 (88kB)部屋のテレビをつけたら
懐かしい場面が。
西安の阿倍仲麻呂の碑です。
これを見にはじめて西安に行ったのは
1989年秋。
[No.14617]
Re: ホテルの朝食
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/24(Tue) 05:20
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画像サイズ: 809×526 (42kB)> ホテルの朝食
>
> このあと
> 英語バージョンを。
こうなります。
[No.14616]
ホテルの朝食
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/24(Tue) 05:19
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画像サイズ: 793×477 (39kB)ホテルの朝食
このあと
英語バージョンを。
[No.14615]
電気ポッド
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/23(Mon) 20:09
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画像サイズ: 816×612 (53kB)ホテルの
電気湯沸機
コンセントの形の違い
当然、想定内ですが。
[No.14614]
機内食
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/23(Mon) 20:05
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画像サイズ: 773×595 (56kB)おなじみの
機内食です。
2年前 広州へ行ったとき
香港、マカオも回りました。
[No.14613]
Re: フェルメール展
投稿者:男爵
投稿日:2011/05/23(Mon) 11:09
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唐辛子 紋次郎さん、みなさん、こんにちは。
> 学者のそばに置かれた小物、まっ、早くいえば商売道具ですが、これを子細に見ればこうした学者が、当時どんなものを使って研究していたかが分かって、専門の人にもきっと面白いのでしょうね。
当時の地球儀や地理学者が手にもっているコンパス(デバイダー)の説明は
会場で丁寧にされ、関連展示(九州の博物館所蔵)もありました。
それは見る価値がありましたね。
> また「地理学者」や「天文学者]の着ている綿入れのようなのも、当時の学者の間で人気の衣装だったとか。
当時の人気な日本の着物スタイルを取り入れたようです。
私がみちのくに来た時
学生が寮に入っていて
彼らの日常の冬の服装として
綿入れ半纏のようなものを着ていましたが
それは当地の言葉で「ドンブク」というのですが
まさにこのドンブクを地理学者の絵から連想しました。
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