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[No.14693] 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9 投稿者:   投稿日:2011/06/10(Fri) 14:41
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紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9
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 中村屋乾物店を過ぎると同じ側(進行右側だが)に、イギリスから輸入したという赤レンガのモダンな建物が見えてくる。

 これが三菱銀行佐原支店の旧本館で最初この場所には川崎銀行佐原出張所があった。現在の建物は、大正3年(西暦1914年)竣工。設計は現清水建設で、地方の支店にしてはドーム付きで贅沢なものだ。

 平成に改元(1989年)され、新支店の建物が落成したのを機に、三菱銀行が佐原市に寄贈したもの。現在は、銀行業務は行っておらず、もっぱら観光用に使用しているようだ。

 となりの町並み交流館の方に伺った話だが、もと銀行の建物は本館以外にも幾棟かあり、この交流館もじつは銀行の一部だったらしい。それが証拠に、館内に銀行のもと金庫室が残されていた。

 支店のくせに、複数棟というのにも驚くが、金庫室が別館にあったとは。

 ちなみに本館は地震のため天井が破損し、危険なので入場禁止とのことであった。


[No.14694] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/11(Sat) 07:26
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Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9
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紋次郎さん  こんにちは

>  これが三菱銀行佐原支店の旧本館で最初この場所には川崎銀行佐原出張所があった。現在の建物は、大正3年(西暦1914年)竣工。設計は現清水建設で、地方の支店にしてはドーム付きで贅沢なものだ。

全国各地に
赤煉瓦の東京駅をモデルとした建物がありますが
辰野金吾とその弟子の設計というものが少なくないのですが
この三菱銀行佐原支店の旧本館は、設計が清水建設なので
そうではないようですね。

岩手銀行旧本店本館(現在中ノ橋支店)の設計は,辰野金吾と葛西萬司です。


[No.14695] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9 投稿者:   投稿日:2011/06/11(Sat) 10:43
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  男爵さん、みなさん、こんにちは。

> >  これが三菱銀行佐原支店の旧本館で最初この場所には川崎銀行佐原出張所があった。現在の建物は、大正3年(西暦1914年)竣工。設計は現清水建設で、地方の支店にしてはドーム付きで贅沢なものだ。
>
> 全国各地に
> 赤煉瓦の東京駅をモデルとした建物がありますが
> 辰野金吾とその弟子の設計というものが少なくないのですが
> この三菱銀行佐原支店の旧本館は、設計が清水建設なので
> そうではないようですね。

 当町にも旧川崎銀行佐倉支店の建物(現佐倉市立美術館の一部)が残っていますが、設計者は、矢部又吉となっています。ベルリン工科大学(当時はシャルロッテンブルク工科大学)で学んだ又吉は、千葉県内に多くの作品を残しています。とくに川崎銀行の建物です。そう云われてみると、旧川崎銀行松戸支店の建物と同行佐原支店の建物の間には共通点があるように思います。佐倉支店の場合も同様です。

 旧川崎銀行佐倉支店の写真の、良いのがないので、下記をご覧ください。

 http://www.city.sakura.lg.jp/museum/facilities/entrance.htm

> 岩手銀行旧本店本館(現在中ノ橋支店)の設計は,辰野金吾と葛西萬司です。

 辰野金吾の作品では、ほかに、東京駅駅舎、日銀本店、日銀小樽支店などがありますね。


[No.14696] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9 投稿者:   投稿日:2011/06/11(Sat) 11:50
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Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9
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起点の忠敬橋に戻り、JR佐原駅に向かう。まず右側に見えてくるのが『正文堂』だ。これは明治時代の書店跡ということで、全国的にも珍しいのではないか。明治13年(1880年)の創建。構造は切妻平入造りというのだそうだ。3階建で、1階は売り場で商品が和書だったため、本棚にはケヤキ材が使われた由。2階は倉庫を改造し、来客用の座敷となり、倉庫は3階へ移った。

 黒塗り(白く見えるが)土蔵造りというのが、当時の書店の典型だったとすると、非常に興味深い。

 1階、2階とも屋根が破損し、分かりにくいが、1階の屋根の上にかまぼこ型の大看板があったらしい。屋号の文字を、昇り龍、降り龍が取り囲むという豪勢なもので、真中の屋号は、明治の三筆のひとり、巌谷修☆が麗筆を揮ったというから大したものだ。もし、地震でこれが全壊したというのなら、惜しみても余りあることだ。

  家の内部には、人影はなく、荒れ果てていて、閑散としていた。

☆ 「こがね丸」などで、馴染みの深い児童文学者。巌谷小波の父。


[No.14697] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9 投稿者:   投稿日:2011/06/11(Sat) 12:51
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Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9
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折角の蔵造りも、これでは形無し。早く修理が済んで、全容をつぶさに見られるといいのだが…。


[No.14698] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9 投稿者:   投稿日:2011/06/11(Sat) 13:20
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Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9
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1軒おいて、現在も盛業中の蕎麦屋「小堀屋本店」がある。天明2年(1782年)から受け継ぐ秘伝☆による蕎麦は、全国でもここでしか味わえないという逸品。

 現在の建物は、明治33年(1900年)に建築。

 享和3年(1803年)刊の、蕎麦の製法を記した巻物、秘伝書が同家には現存する。なお、説明書きによれば、同店は、蕎麦屋の前には、醤油造りの店を営んでいたという。


[No.14699] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9 投稿者:   投稿日:2011/06/11(Sat) 13:30
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Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9
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 木の、いかにも古めかしい看板には、大書した『生蕎麦』の上に、辛うじて『創業天明弐年』の字が読み取れる。下には、『小堀屋本店』の五字。

 左肩にある丸に小は、小堀屋の商標でもあろうか。

 


[No.14700] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9 投稿者:   投稿日:2011/06/11(Sat) 13:35
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Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜9
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 こういうものが、まだ貼ってあるということは、ここはまだ復旧していないということか。