大正の部屋  ー温故知新ー 
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[No.1009] 40年目のゴメン 投稿者:BUP  投稿日:2009/05/07(Thu) 15:08
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変蝠林大兄、皆様 コンニチハ、沢山のお見舞いを頂き有難う御座います。
昨日、常磐高速、たいした渋滞も無く無事帰宅しました(怖くてスピードメーター見られなかった)。
前宣伝でETCで何処まで行っても千円には、すっかり騙されました、1,650円、でも以前より半額以下なので。
今朝、近所の整形外科に行き診て貰いました、完全に肋骨が一本折れているそうで、痛みは当分続くそうです、ヨク平気な顔をしてるな〜って、冷やかされました。
兵隊のとき、さんざん殴られてますんで、痛みには鈍感なんですって答えときました。
治るまで約一ヶ月、水泳は禁止、水中歩行もダメ、重いもの持ってはダメ、掃除機もダメ、(家内も傍聴してましたので、内心シメシメと思ってましたよ)、酒もダメだそうで、俄かに生きがいを失った感じでアリマス。
さて、いわき市で治療を受けた際、連休の当番医で患者が立て込んでいたせいか、たいした説明も無く、痛み止めだけで帰宅しましたが、当日、昼食時、家族が揃っているとき、治るまで幾日くらい掛かるかなあ?って言ったら、長女が即座に3ヶ月って言いました。
どうしてわかる?って聞いたら、私の時が一ヶ月だったから、ジージはもうトシだから、その三倍は掛かると思うよって言われました。
なんだそれ?、おまえ何時、肋骨折ったんだ?って訊いたら、小学生のとき校庭のジャングルジムで墜落、肋骨2本折れて痛かったよって言われました。
家内に、なんだそれ、俺、其の件、全然知らないぞって思わず声を出したら、家内は向こう向きで、地球の裏側に居るアンタに言ったって仕方がないでしょって言われました。
当時、高度成長期で、俺は一度乗船して日本を離れたら、北米から中近東、欧州と三国間航路、我が家に帰れるのは年に一ヶ月の休暇くらいだったのです。
港、港で飲み歩き、タヨリが無いのは無事な証拠って、気楽に働いてました。
子供たちが生まれた時だって、赤ちゃんは自然に生まれてくるって思ってました。
休暇は子供たちの夏休みに合わせてとり、夏休み中、毎日、海へ山へで遊んでました。
夏休みの終わる頃、子供たちの宿題を夫婦で徹夜でこなした事など、想い出しました。
”悪かったなぁ〜、俺、全然知らなかった ゴメン”って言っときました。
家内は、向こう向きで少し頷いたようなカンジでした。
”さぁ〜みんな、今夜はジージのおごりで回転寿司食い放題だよ”って明るい声が聞こえたようです。


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