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[No.1000] 肋骨骨折 投稿者:BUP  投稿日:2009/05/04(Mon) 12:27
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肋骨骨折
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皆様 ご無沙汰でした、先月25日より、いわき市小名浜に来ております。
6日まで滞在の予定です。
冬の間、荒れ放題の庭の手入れも終わりましたが、不在でも庭の花々は綺麗に咲いていて呉れました。
1日の朝食の際、何かの調子で床に滑り、転びテーブルか椅子か角に右の胸を強打しました。
非常に痛かったのですが、そのうちに治るであろうと軽視して出歩いておりました。
2日後、3日の夜半、激痛で起こされました、身動きが出来ないのです。
連休で近所の医者は休み、119番でお伺いしても、休み中の病院を教えて呉れるだけ、困り果てて、ネットで検索したら、この地域の連休中の当番医の整形外科医院が見つかりました。
40キロほど離れた平(たいら)の町外れの医院でした。
早速、来宅中の娘の亭主の車で約40分、診察して頂きました。
レントゲン写真を一瞥、即、肋骨骨折、治療法は胸部を帯状のもので圧迫、自然回復を待つのみ、との御診断でありました。
痛み止めのお薬を頂いて服用、少し楽になりましたが、痛みを避ける為、体の動作が緩慢になり、咳、痰出しは激痛で、出来ません、痛み止めの薬は5〜6時間は効くようですが、切れると痛み出します。
6日には市川に帰る予定ですが、こんな調子ではプールでの華麗な水泳は当分は出来ませんねぇ・・・。
家内、娘どもは、こんな哀れなじじーを見放して、今日は阿武隈高原方面のドライブだそうで。
従って、哀れな俺はノートパソコンに”ドッチーカ”を差し込んで、1分10円でネット遊び中であります。
(痛くてもパソコン遊びは出来るのが不思議です)
昔でしたら、これで寝込んでしまい、ご臨終を待つことになるのでしょうね。
大正・昭和生まれの皆様、事故は交通だけではゴザイマセンヨ、家の中、座敷でも、すぐ今居る貴方の横で起きます、気を付けて下さいね(他人様に言うより自分に言え!)
以上、苦痛を堪えてのヒマツブシでした。 画像は庭の花・花です
(南シナ海で落っこちたときより痛いよ!)


[No.1001] Re: 肋骨骨折 投稿者:   投稿日:2009/05/04(Mon) 18:01
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Re: 肋骨骨折
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 BUPさん 大変なゴールデンウィークになってしまいましたね。
 痛みはいくらかよくなられましたか。
 早く良くなって、プールでの華麗な水泳をお楽しみください。
 ご無理をせず、回復を待ち、静養されることをお願いします。

 写真は横浜で行われたフラワーアートフェスティバル

                      『写楽』


[No.1002] Re: 肋骨骨折 投稿者:   投稿日:2009/05/04(Mon) 19:23
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>  BUPさん 肋骨骨折お見舞い申し上げます。そう言う私は昨年8月16日の朝 猫の額ほどの畑に出て草取りを始めた途端に恥かしながら尻餅をつきその瞬間に腰が痛み午後になって整形外科に行くと「脱臼骨折」と診断され痛み止め薬をくれただけで、自然に痛みの取れるのを待て・・・と冷たい事を言われ 8か月我慢の連続でしたが昨今痛みも直り、本日は
8か月ぶりでゴルフをしましたが、これ又110回も叩く恥ずかしい思いをして来ました。年は争えませんね・・・お互い様転ばない様に注意しましょうね。


[No.1003] Re: 肋骨骨折 投稿者:   投稿日:2009/05/04(Mon) 22:10
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BUBさん、えらい目に遭われましたね。
大事に安静にして、一日も早い快癒を祈願申し上げます。

私メ、2度経験ありです。
一度は2本骨折、一本ひびが でとてもじゃない痛い辛い思いを
しました。
出先で 救急医の手当が出来て、(^ー^)ヨカッタデスネーーー!
安静あるのみ、p(^^)qガンバッテ!

華麗なる水泳は暫く休養で、ご家族の行楽は癪でしょうが、書き
込みから拝見すると気力も気持のゆとりもあられるようで、流石
日本男児、肋骨の2本や3本 日にちが経てば完全治癒、後遺症も
残りませんよ。
傍について面倒見て貰わなくっちゃでなくって何よりと思って
下さい。
咳、ハクションなどはくれぐれも注意なさってください。
死ぬ思いの痛み、辛さですからね。

綺麗な花・花・花の写真、有難うございます。
お庭の手入れが終わったあどで 良かったですね。

                       オアシス


[No.1004] Re: 肋骨骨折 投稿者:   投稿日:2009/05/05(Tue) 06:29
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BUP様 

> (南シナ海で落っこちたときより痛いよ!)

昨日は孫娘一家が慰問来宅にて大騒動。
従って本記事今頃拝見。
無経験にて同情不可能。

南海で落とした船名は?

日本男児・・我慢我慢。

                  変。


[No.1005] Re: 肋骨骨折 投稿者:善兵衛  投稿日:2009/05/05(Tue) 09:08
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BUP様 

 やがてけろりと痛みも忘れます。傷跡も残らない。どうせ余生、あせることはありません。ぼくの場合は、近道しようとして打ちっぱなしのコンクリートの上を歩いて躓きました。隻眼で足元の起伏がわからなかったのです。顔面を打って頬骨の付近に擦り傷がつきました。
姪の子の結婚式に出席したときに数々のカメラを向けられました。今では痕は全く残っていませんが、おどろき! レンズを通したものは、鏡で見た痣よりも濃い。死んでも消えない傷痕が残りました。
 屍の上の汚名を後世まで遺せることその例尠からぬものを。深く警めでやはあるべき。


[No.1006] Re: 肋骨骨折 投稿者:BUP  投稿日:2009/05/05(Tue) 15:31
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Re: 肋骨骨折
画像サイズ: 1152×648 (71kB)
皆様 御心配をお掛け致して居り、恐縮です。
明日、家内の運転で常磐高速 まっしぐら市川に帰宅致します。
(無事に着くかどうかは未定)
綺麗な画像は追って、帰宅後ゆっくりと上げさせて頂きます。
有難う御座いました。
(画像は家内と子供たちのお土産画像です)


[No.1007] Re: 肋骨骨折 投稿者:マーチャン  投稿日:2009/05/06(Wed) 08:24
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BUPさん

 あれっ。災難でしたね。

 でも、回復に向かっておられるとのことでホッとしました。

 外での「お泊り」の場合、いつもと様子が違うので、
 こういう事故に遭うことがよくあるのだそうですね。

 それにしても素晴らしい写真です。目の保養をさせていただきました。

 どうぞ、お大事になさってくださいませ。


[No.1008] Re: 肋骨骨折 投稿者:   投稿日:2009/05/07(Thu) 05:20
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BUP様 

> 無経験にて同情不可能。
> 南海で落とした船名は?
> 日本男児・・我慢我慢。

 無神経な発言御免なさい。
 其の後いかがですか。

               変。


[No.1009] 40年目のゴメン 投稿者:BUP  投稿日:2009/05/07(Thu) 15:08
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変蝠林大兄、皆様 コンニチハ、沢山のお見舞いを頂き有難う御座います。
昨日、常磐高速、たいした渋滞も無く無事帰宅しました(怖くてスピードメーター見られなかった)。
前宣伝でETCで何処まで行っても千円には、すっかり騙されました、1,650円、でも以前より半額以下なので。
今朝、近所の整形外科に行き診て貰いました、完全に肋骨が一本折れているそうで、痛みは当分続くそうです、ヨク平気な顔をしてるな〜って、冷やかされました。
兵隊のとき、さんざん殴られてますんで、痛みには鈍感なんですって答えときました。
治るまで約一ヶ月、水泳は禁止、水中歩行もダメ、重いもの持ってはダメ、掃除機もダメ、(家内も傍聴してましたので、内心シメシメと思ってましたよ)、酒もダメだそうで、俄かに生きがいを失った感じでアリマス。
さて、いわき市で治療を受けた際、連休の当番医で患者が立て込んでいたせいか、たいした説明も無く、痛み止めだけで帰宅しましたが、当日、昼食時、家族が揃っているとき、治るまで幾日くらい掛かるかなあ?って言ったら、長女が即座に3ヶ月って言いました。
どうしてわかる?って聞いたら、私の時が一ヶ月だったから、ジージはもうトシだから、その三倍は掛かると思うよって言われました。
なんだそれ?、おまえ何時、肋骨折ったんだ?って訊いたら、小学生のとき校庭のジャングルジムで墜落、肋骨2本折れて痛かったよって言われました。
家内に、なんだそれ、俺、其の件、全然知らないぞって思わず声を出したら、家内は向こう向きで、地球の裏側に居るアンタに言ったって仕方がないでしょって言われました。
当時、高度成長期で、俺は一度乗船して日本を離れたら、北米から中近東、欧州と三国間航路、我が家に帰れるのは年に一ヶ月の休暇くらいだったのです。
港、港で飲み歩き、タヨリが無いのは無事な証拠って、気楽に働いてました。
子供たちが生まれた時だって、赤ちゃんは自然に生まれてくるって思ってました。
休暇は子供たちの夏休みに合わせてとり、夏休み中、毎日、海へ山へで遊んでました。
夏休みの終わる頃、子供たちの宿題を夫婦で徹夜でこなした事など、想い出しました。
”悪かったなぁ〜、俺、全然知らなかった ゴメン”って言っときました。
家内は、向こう向きで少し頷いたようなカンジでした。
”さぁ〜みんな、今夜はジージのおごりで回転寿司食い放題だよ”って明るい声が聞こえたようです。


[No.1010] Re: 40年目のゴメン 投稿者:   投稿日:2009/05/07(Thu) 21:07
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BUP さん

お怪我の事を離れて、戦後の復興仕事は大変でしたね。
今は殆どの貨物が航空機又はコンテナー船ですが昔?
は輸出入貨物が全部貨物船それも一米四方程度の木箱。

接岸降ろしは数港、特に石炭、穀類は殆どが沖取りで
受荷受領書サインの為に何回艀で往復した事か。

長屋の御隣に船医さんが居りましたが奥様は数月寡婦。
全部コンテナーに代わったのは何時頃でしたかねえ。

石炭の艀取りも大変でしたが南洋材の降しは壮観でした。
積み込みの作業はもっともっと大変だった事でせうね。
穀類は割合早くサイロ吸い取りに成りましたが。

今の若いもんにはマドロスさんの苦労は判らんでせうね。
積もる苦労話を一度ゆっくり御聞きしたいものです。

                              変。