[No.446]
古関裕而
投稿者:男爵
投稿日:2013/10/01(Tue) 18:23
[関連記事] |
夏子さん
> 福島に旅をした際、台風の関係で、雨風に祟られて、仕方がないので「古関裕而記念館」
>で半日以上を過ごしました。
それは良いところを見学しましたね。
私も「古関裕而記念館」には数回訪れています。
古関裕而は福島の商業学校を卒業しただけで
正規の音楽教育を受けていないのです。
しかし、音楽が好きで
山田耕筰には何度も手紙を送って、指導を受けていたようです。
1929年、チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選、日本人として初めて国際的コンクールの入選したのです。
この入賞の報道を読んだ声楽家志望の愛知県の内山金子(きんこ)が裕而にファンレターを送り、熱烈な文通を経て1930年、裕而20歳、金子18歳でスピード結婚をしました。
正規の音楽を勉強していなかった古関は、妻の理解と支援により
音楽人生を充実させることができました。
古関はたいへんな愛妻家で、戦争中の疎開先でも空襲のときは妻を背負って避難したといいます。
古関裕爾は山田耕筰の推薦でコロムビア専属の作曲家となります。