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[No.577] Re: 放浪記 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/14(Mon) 14:49
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> > 若き日の菊田一夫は文学青年をこころざし、サトウ・ハチローの世話になる。
> > サトウ・ハチローは父の支援により自分の部屋をもっていて、そこに菊田らを同居させていた。

> 菊田一夫は
> 1925年(大正14年)に上京。印刷工として働くかたわら、文学活動にふけっていた。

> 文京区小石川の伝通院の傍らに、詩人の渡辺渡、民謡詩人の山口義孝らとともに
> 家を借りて、「太平洋詩人」を出していた。

その頃菊田は一緒に仕事をしていた仲間には言わなかったが、人生に深刻に悩んでいた。
彼らと別れて、鎌倉へいった帰りにサトウ八チローのところへ顔を出し
「実は鎌倉で死のうと思ったのです」と正直に打ち明けた。

ハチローが「じゃあ、俺の家にこいよ」と言ってくれたので、以後ハチロー宅の居候兼走り使い、風呂焚きなど雑役係りを務めた。

菊田は自伝にも
昭和4年、サトウ八ローのところに奇食して詩作を学び、その庇護で浅草公園劇場の文芸部に入ったと書いている。

サトウハチローは結婚して家族がいたのだが(関東大震災のときには生まれて数カ月の長女ユリヤを抱えて逃げ回っている)、別居して
当時は池袋の家で美校の学生らと一緒に生活していたらしい。

サトウ八ローは上野の美術学校に偽学生として通い、ストーブを焚いたり粘土こねを手伝っていたという。
あまり堂々としていたから、美術学校の学生も教授も偽学生とは思わなかったそうである。

そのうち、彼らは玩具工房として「ラリルレロ玩具製作所」を立ち上げる。
この玩具の製作にも、菊田は声をかけられ手伝わさせられたらしい。
もっとも要領が悪く叱られてばかりだった。

>   菊田一夫  人間の記録111  日本図書センター(1999)
  
  玉川しんめい著 ぼくは浅草の不良少年 実録サトウ・ハチロー伝 作品社(2005)


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