あなたの戦後は? 
(期間:2010.12.1 - 2011.1.31)

メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。

メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。


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  • [No.171] Re: にごり酒 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/11(Sat) 20:37
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    あやさん

    > 私にもこのような思い出はあります。もちろん家では両親もいなく、作りません
    > でしたが、まさに密造酒だったはずです。
    > 近所の大人たちがそう言いながら、ぶどうを漬け込んでいたように思います。

    それっ、隠せ
    なんて言いながら対応していたのをちょっとだけ
    記憶しています。

    あとで時間があったら
    宮沢賢治の
    密造酒を調べる
    税務署長の童話を紹介したいと思います。
    もっとも、これは戦争前の話ですが。


    [No.170] Re: 戦災孤児2 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/11(Sat) 20:32
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    あやさん

    > 苦しくなったりすれば、体が動くでしょうが、まったく静かに息を
    > 引き取ったと思いたいです。
    >
    > > しかし
    > > 畳の上で死ねた人は、やはり行いが良かった
    > > という人がいます。
    >
    > そうありたいですね。

    実は
    小学生のときの先生が
    あるとき教室で
    自分の祖父が風呂上がりで
    家の前でしゃがみこんで、そのまま亡くなったという話をしてくださいました。
    行いの良い人はその一生を最後に飾るというのです。
    良い人生を送った人はきれいな体で苦しまずに亡くなる。
    (ずっと後になって、私は北海道から小学校の同窓会の出席者の記録が送られてきたとき、この先生の名前と住所を見つけて、昔教室で聞いたこの話を葉書に書いて送りました。先生から昔の話を覚えていてくれたこと、これだから先生という職業はいいものだという返事が送られてきました)

    もうひとつ
    私がお世話になった農学部の先生は
    退職されて学術会議の委員となり
    その委員会のあとに東京から自宅に帰ってきて
    お風呂に入り、ウィスキーをコップ一杯飲んで
    二階でゆっくりしているうちに亡くなったそうです。
    下でそろそろ寝ましょうと奥さんが声をかけても返事がない
    あれっというわけで二階に上がって、息をしない先生を発見したそうです。
      こういう死に方は最高だと思いますが、この先生にしてできたことでしょう。


    [No.169] Re: にごり酒 投稿者:   投稿日:2010/12/11(Sat) 20:24
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    > 家庭で作られていた甘酒の製造は犯罪ではなかったのでしょうね。
    >
    >
    > 同じ頃、ぶどうを焼酎に漬け込んだぶどう酒?作りも盛んでしたが、あれは密造酒だっ
    > たかもしれません。何か、こっそり、という感じで作られていました。
    >
    > それとも、ぶどうの焼酎漬けではなくて、ぶどうを発酵させて作っていたのでしょうか。子供の頃の記憶なのであいまいです。

    私にもこのような思い出はあります。もちろん家では両親もいなく、作りません
    でしたが、まさに密造酒だったはずです。
    近所の大人たちがそう言いながら、ぶどうを漬け込んでいたように思います。


    [No.168] Re: 戦後史 投稿者:   投稿日:2010/12/11(Sat) 20:20
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    > 昭和17年8月、俺はその羽田飛行場より零式輸送機に乗り、セレベス島のマカッサルに向け飛び立ちました。
    > 父母には、一寸行って来ると言い残しましたが。

    うわぁ、すごい。一寸行ってくるなんですか?

    > 森が崎、羽田の浅瀬では潮干狩りの記憶が残ってます。
    > 小学校のときは夏休みは殆ど毎日、森が崎の海水浴場で泳いでました。

    森が崎で潮干狩りを楽しんだなんて! まさに私も森が崎で毎日遊んで
    いたのです。
    森が崎の隣に住み、森が崎にあった1中へ通っていたのです。

    > (明日から福島県小名浜の家の庭の草刈りに行きますので留守になります)

    いっていらっしゃい! 楽しいお話しを待っています。


    [No.167] Re: 戦災孤児2 投稿者:   投稿日:2010/12/11(Sat) 20:14
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    男爵さん

    > > またまた長文でごめんなさい。
    >
    > あやさん 長文はかまいませんよ。
    > できるだけ詳しく書いていただいた方が
    > 参考資料となります。 不足だと誤解されたりします。

    ありがとうございます。

    > > 医師の診断は、朝の3時頃死亡したとあった。私は一緒に寝ていて気がつかなかったのだ。
    >
    > そばに寝ていて、いつ亡くなったとは、わかりませんよね。

    苦しくなったりすれば、体が動くでしょうが、まったく静かに息を
    引き取ったと思いたいです。

    > しかし
    > 畳の上で死ねた人は、やはり行いが良かった
    > という人がいます。

    そうありたいですね。

    >
    > 人が死を迎えるのは、いつどこでそうなるか本人もわかりません。
    > 育てたあやさんと一緒に寝ているうちに亡くなったのは
    > やはり運の良いことだったと私は思います。

    私も母同様の人でしたので、一緒の布団の中で亡くなったのは
    忘れられません。

    祖母は「巡礼お鶴?」をよく聞かせてくれました。同級生の男子と
    涙を流しながら、炬燵の中にもぐって聞いたのを覚えています。

    洋服は欲しいと言わない私でしたが、本屋の前の道路で本を
    買ってくれない祖母に抵抗していつまでも座り込んでいたことも
    思い出です。


    [No.166] Re: にごり酒 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/11(Sat) 19:53
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    ナッツ甲さん  こんばんは

    > 小学校5年のときだったか、学校の実習で甘酒を作りましたよ。作った私達は飲ませて
    > もらえませんでしたが、あれは先生が飲みたくて実習したのかも・・・(^^ゞ
    >
    > ちなみに、甘酒は、ごく普通にあちこちの家庭で作られていて、私は好きでした。

    この甘酒は酒粕でつくるのでしょうか。

    > 同じ頃、ぶどうを焼酎に漬け込んだぶどう酒?作りも盛んでしたが、あれは密造酒だっ
    > たかもしれません。何か、こっそり、という感じで作られていました。

    天然のヤマブドウのシュースもしばらく置いておくと
    ワインになるはずです。

    ロシアのウォッカも原料は砂糖水だといいます。
    その地域に存在する酒酵母が知らないうちに活躍して
    酒を造るのだと思います。


    [No.165] Re: にごり酒 投稿者:ナッツ甲  投稿日:2010/12/11(Sat) 17:08
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    家庭で作られていた甘酒の製造は犯罪ではなかったのでしょうね。

    > 戦後の各家庭で作っていた濁り酒の記憶はあります。
    > しかし、飲むチャンスはありませんでした。

    小学校5年のときだったか、学校の実習で甘酒を作りましたよ。作った私達は飲ませて
    もらえませんでしたが、あれは先生が飲みたくて実習したのかも・・・(^^ゞ

    ちなみに、甘酒は、ごく普通にあちこちの家庭で作られていて、私は好きでした。

    同じ頃、ぶどうを焼酎に漬け込んだぶどう酒?作りも盛んでしたが、あれは密造酒だっ
    たかもしれません。何か、こっそり、という感じで作られていました。

    それとも、ぶどうの焼酎漬けではなくて、ぶどうを発酵させて作っていたのでしょうか。子供の頃の記憶なのであいまいです。


    [No.164] Re: 進駐軍 投稿者:ナッツ甲  投稿日:2010/12/10(Fri) 23:34
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    さんらく亭さん、ありがとうございます。

    > > 話は違いますが、進駐軍から駐留軍と呼ばれ方が変わったのは、何年頃だったでしょうか。
    >
    > たしか講和条約が発効(1952.4.28)してからだったと記憶しています

    そうでしたか。すると、小学校の3,4年の頃に聞いたのでしょう。

    > 進駐は敵国へ進軍していって留まる
    > 駐留は他国内に留まる
    > 。。。といった意味合いの違いだったと思います

    その程度の言葉の差に過ぎないのに、なぜ、あの友達は「捕まる」なんて言ったので
    しょうね。誰か、それを教えた彼女の周囲の大人が、子供をからかったのかもしれま
    せん。

    本気で怖かった私は、60年も昔のことを、いまだに記憶しているのです(^^ゞ

    鮮明な記憶が、一つでも多く残っているのは、いいことかも知れないヽ(^o^)丿


    [No.163] にごり酒 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/10(Fri) 21:33
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    > 日本酒の話です。

    > 「増醸酒」後にいう「アルコール添加酒」の誕生だった。

    > 米だけから造り出すアルコールの約二倍の醸造アルコールを加えるため、できあがる酒の量は三倍に増えることから「三倍増醸酒」、略して「三増酒」と呼ばれる。

    こうした
    水増しの三倍増醸酒のほかに
    手作りの酒がありました。
    伝統文化保存としての自家製酒
    しかし
    当局は密造、脱税として
    無粋にも取り締まりました。
     (このへんは伝統の物差の曲尺とか尺貫法を禁止した役所と似ています。文化を大切にしない国や民族は滅びます。 というのは私よりも真の文化人が言っていることですが)

    戦後の各家庭で作っていた濁り酒の記憶はあります。
    しかし、飲むチャンスはありませんでした。

    島崎藤村の「千曲川旅情の歌」を思うたびに、濁り酒が飲みたくなります。
    冬に飲むものです。


    [No.162] ミネソタの卵売り 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/10(Fri) 21:14
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    > 暁テル子を思い出します。
    > SSK(松竹少女歌劇団)出身。
    > 「ミネソタの卵売り」「東京シューシャインボーイ」は代表曲。

    暁テル子「ミネソタの卵売り」の
    替え歌で
    インスタント麺のCMができて
    ちびまるこちゃんに出てきたのでした。
    http://kotonoha.cc/no/94475


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