[No.285]
昭和28年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/22(Wed) 17:08
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昭和28年
横町に見られた縁台 縁台将棋は夏の風物詩であった。都市の人口増加による住宅の集密化で庭は狭くなり、どんな道路にも車が進入してくるようになったため、縁台は横町から消えた。
人造米 米不足の対策として、でんぷん、小麦粉に二割ほどの砕米を加え米粒大に固形化した人造米が開発されたが、増産や豊作で米不足がなくなり人造米は姿を消した。
街頭テレビ 波平が駅で、「今日は急ぎますから」と別れた知人と、電器店のテレビ見物の人だかりの中で再び会ってびっくりする漫画があった。
月賦 磯野家も月賦でスプリングコートを買っている。
質屋 キャンプに行く金のないマスオの友人が一計を案じ、「山にキャンプに行くんだ」と言ってマスオの大事なポータブル蓄音機を借りる。彼はそれを質屋に預けてキャンプ資金を作り出す。
人前での授乳 磯野家を訪ねてきた乳児を連れた女性、乳児が泣き出したので、フネの前で授乳する。昭和20年代は、電車やバスの中、公園などの公共の場で授乳はよく見られた。
スクーターの横乗り 女性を後部座席に横乗りに乗せたスクーターが通りかかり、サザエがうらやましそうに見ている漫画があった。当時ノーヘルメットで、スクーターの横乗りができたのは、街に自動車があまり走らず、危険意識が薄かったからだろう。
庭の穴にゴミを入れる 東京の人口が増大しゴミが増えてくると、ゴミ箱はいつも満杯状態になり、都民は自家でゴミ処理をせまられ、磯野家も庭に穴を掘る方法を採用する。木や落ち葉は燃料や焼き芋に使われた。昭和32年から東京湾で夢の島のゴミ埋め立てが始まる。
勝手口 勝手(お勝手)とは台所のこと。勝手口とは台所への出入口。昔の建物は、出入口が玄関と勝手口の二カ所あり、御用聞きや女中は勝手口から出入りした。磯野家も塀に勝手口という表札を付け、くず屋や御用聞きがここから出入りしている。
ダルマストーブ 昭和20年代の小学校・中学校の教室にはダルマストーブがあって、その横には石炭を入れた大きなバケツと小型のシャベルが置かれていた。ストーブの周りに人の輪ができ、おしゃべりの場ともなった。
中国引き上げ児童 日本赤十字社など三団体と中国紅十字会との公式会談が北京で開かれ、中国から引揚げが開始された。カツオがその帰国少年を家に招く。帰国少年はサザエに「だから毛沢東のめざすものは...」、波平とマスオには「つまり、労働人民の組織の力で...」と中国での学習を披露。大人たちはむずかしくてよくわからない。
としよりの日 昭和27年9月15日、大阪で第一回「としよりの日記念大会」開催。 波平が駅員と口論、ついに駅員は「すみません、今日のところはあやまります」と言う。波平が「それみたまえ」と言うと、駅員がすかさず「今日はとしよりの日だから」と答える。かくして二人は再び口論を始める。