画像サイズ: 308×510 (74kB) | なんか、急にばかにエラソーなタイトルが飛び出してきて申し訳ないのですが、さいきん古いものに惹かれて、そういうものを読むことが多くなりました。
まず、その最初は、この間図書館から借りた、岩倉使節団の「米欧回覧実記」で、あっしはこのうち、イタリアの部だけを拾い読みしました。回覧の内、とくに日本におけるイタリア観に焦点を絞った重要な研究(立命館大学)もあるようですが、あっしはべつに、その方面の研究者でもないので、当時の都市や国名の表記などに拘ってみました。
まずイタリアを漢字で表すとき、現在ではふつう、伊太利や伊太利亜が頭に浮かびます。中国では、意大利というようですが、「回覧実記」では以太利(半島)となっていました。
(首都)ローマは、羅馬で、これはあっしも昔からよく目にしていたのであまり、抵抗感はなかったです。また、あっしはイタリアは何度も行き、イタリア語の発音には多少慣れているので、例えばフローレンスよりフィレンツェ、ピノチオよりピノッキオ、ヴェニスよりヴェネツィアの方が馴染みやすいのです。で、
急に「セントピートル」寺などと云われると戸惑うことになります。しばらく経って、ああ、サン・ピエトロ寺院のことかと気が付くのです。ちなみに、33年前に日本で刊行されたトラベルガイドを見たら、サン・ピエトロになっていました。
イタリアの独立時に大活躍した「英傑」ガリバルディもこの本では「ガルハルヂー」や「ガルバルチー」になっていました。この程度は、まだ可愛いけれど、「カドレイキ」教となると、もうお手上げに近いです。
カドレイキがカトリックだと分かる迄には、かなりの時間がかかりました。ルーザルは希少動物のサルやルー・大柴の飼っている愛猿などではなく、宗教家のルッターのことでした。街を表すとき、固有名詞に府を付けるのは、鴎外の独逸日記などですでに学習済みだったけれど、那不児府が出ても、これがナポリとはすぐには分からなかったのです。水族館が水族観にはビックリ。
ナポリから電車で40分とかいう所にあるカゼルタ(宮殿)は、「カセル」宮になっていました。ピという音はないので、まあ仕方ないとも思うけれど、「ヒラミテ」には参りやした。ピラミッドくらい覚えてくれやと、云いたくもなって来ます。すべてこの調子なので同書の速読は、どなたにも無理だと思いますね。なわけで、
一向にページが進まず、次第にイライラが募るのをどうにも出来ません。(つづく)
写真はフィレンツェ、シニョーリア広場。 |