私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.453] 破戒 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 06:04
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    画像サイズ: 483×378 (35kB)
    被差別部落問題をとりあげた「破戒」は
    島崎藤村が自費出版した小説。
    貧しかった藤村は、この小説が完成するまでの2年間に
    3人の子どもを亡くす。妻も栄養失調におちいったという。

    「破戒」を執筆していたとき藤村が住んでいた家が、新宿の歌舞伎町にあった。
    地下鉄の東新宿駅ちかくに藤村旧居跡がある。

    主人公が志保とともにアメリカに渡るという展開は
    逃亡だとして批判する人もいるが
    当時としてはやむをえない方策だったのではないか。

    この小説の映画化で志保を演じた女優が
    藤村志保である。


    [No.452] Re: 「目で見るグリム童話」 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/06(Tue) 05:50
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    唐辛子 紋次郎さん

    >  以前『グリム童話の世界展』のことを書きましたが(#271)、その後沢山のカラー画像の入って、ちょっとマニアックな本を見つけました。

    >  この文庫には、グリム16話と、そのうつくしい一枚絵が収められています。原画はベルリンの国立図書館にあるようです。

    >  また、ドイツ一枚絵は、ノイルピーンをはじめ多くの絵師を輩出したそうです。

    こんなのがありました。
    http://www.khnbk.jp/gyouji/index.htm

    カッセル グリム兄弟博物館 永遠のグリム童話展
    滋賀県立近代美術館 2003年7月12日 〜 2003年8月17日
    http://www.shiga-kinbi.jp/?p=2141
    ドイツ・カッセルのグリム兄弟博物館所蔵の260点の貴重な資料を展示し、手紙などの自筆資料や初版本などでグリム兄弟の生涯をたどるとともに、19世紀当初から現代にいたる古今のグリム童話集の挿絵から、今でも世界中の人々に愛されつづけるグリム童話の魅力にせまった。
    なお、本展は、いわき市立美術館、酒田市美術館、萬鉄五郎記念美術館、高知県立文学館に巡回した。
      これを花巻市東和町で私は見たのでした。


    [No.451] 「目で見るグリム童話」 投稿者:   投稿日:2011/12/05(Mon) 23:15
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     以前『グリム童話の世界展』のことを書きましたが(#271)、その後沢山のカラー画像の入って、ちょっとマニアックな本を見つけました。

     本文も分かりやすく楽しいのですが、ここに添えられた絵が、じつに素晴らしい。

     最初に『一枚絵』と云うことばが出てきて、その説明があります。これは、いわば、庶民の啓蒙の役割を担った、日本の瓦版のようなものだと、著者の野村ひろし(さんずいに玄)さんは云います。

     内容はキリスト教のことや、世界の不思議、恐ろしい、あるいは珍しい出来事などが満載だったとか。

     大きさは、新聞の片面くらいと云いますから、あっしの持っている文庫版だと絵が小さくなるのがチョット残念です。

     もちろん、このグリム童話も取り上げられ、大いに子どもたちを喜ばせたようです。野村さんのおかげで、こうして、日本でもその片鱗が見られるのはむしろ有難いことなのでしょう。

     この文庫には、グリム16話と、そのうつくしい一枚絵が収められています。原画はベルリンの国立図書館にあるようです。

     この一枚絵が、のちにアメリカに渡って、現代の漫画を生み出したということですから、その価値はたいへんなものだと云えます。

     また、ドイツ一枚絵は、ノイルピーンをはじめ多くの絵師を輩出したそうです。


    [No.450] 放浪記 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 22:00
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    林芙美子の自伝的小説。

    「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…したがって旅が古里であった」との出だしで始まる。

    行商人だった両親に連れられ全国各地を旅する。

    尾道の女学校で文才を認められる。
    尾道出身の大学生と東京で同棲するが結局結婚できず。
    (この男は彼女の小説出版の時に援助したらしい)

    彼女は、夜店商人、セルロイド女工、カフエの女給などの職を転々とする。
    書くことに疲れ、海を見たくなり、列車で長野を越えて直江津まで行く。
    そこで「継続だんご」なるだんごのネーミングが品がないと軽蔑しながら
    甘いだんごを食べて元気を出し、自殺することを中止して東京に帰る。
      この継続だんご店は放浪記の関係文章を今も宣伝に使っている。

    森光子の芝居が有名である。
    あれは若いころの菊田一夫がサトウハチローのところにみんなで集まって青春時代をすごしたとき
    ときおり女給をしていた林芙美子が一升瓶を抱えてころがりこんできたので
    昔からの仲間という意識で戯曲を書いたのである。

    あの芝居のように、詩人との同棲は男が乱暴するので林芙美子は不幸であったが
    そのあとに一緒になった画家は温厚な男で、この男と暮らすようになってから
    彼女は心に落ち着きと安らぎを得て、小説も成功するようになったのである。
      それが夫の手塚緑敏である。彼女も夫を大切にした。


    [No.449] しろばんば 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 21:32
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    井上靖 「しろばんば」

    しろばんばとは
    冬が近くなったころに
    夕闇がたちこめた空間を綿くずでも舞っているように浮遊している
    白い小さい生きもののことである。
    このしろばんばが現れる時刻になると、子どもたちの家からは
    帰宅をうながす声がきこえてくる。

    しかし
    主人公の少年洪作を呼ぶ声はない。
    彼と一緒に住むおぬい婆さんは、彼を好きなだけ遊ばせていたので
    洪作は仲間がいなくなるまで遊んでいた。
    監督者のいない自由な生活だった。

    おぬい婆さんは、他界した曾祖父の愛人で
    曾祖父は彼女の生活や家族の中での地位を安定させるため
    洪作の母を分家させて、おぬい婆さんを洪作の養母として入籍させていた。

    そのような理由で、洪作は豊橋に住む実父母や妹と別れて
    5歳から12歳頃まで、伊豆半島の湯ヶ島でおぬい婆さんと暮らしていた。


    [No.448] 幻の英語文法書 投稿者:   投稿日:2011/12/05(Mon) 21:23
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    こういうものがいまだに出ているとはスゴイことだ。ブックレビューでは初版が1931年、実際に70年だか80年も命脈を保っているとすればこれは驚異だ。

    こどもの頃のうろ覚えで検索してみたら、チャンと出てきた。(@_@;)この著者は、やはり、言語学者なのだろうか。著書には、このほか「伊語会話文典」「仏和会話文典」というのも、あるらしい。

     とにかく、分厚い本だったことは記憶の底にうっすらと残っている。持ち歩きには重くてたいへんだが、文例がたしかに豊富だったのを覚えている。

     親本は「英文法通論ー英会話文典ー」となっていて、著者はオレステ・ヴァカーリ、発行は丸善となっている。

     これほど息が長いのは、たぶん豊富な文例と『中一から大学受験までをカバー』という範囲の広さによるのでもあろうか。

     ネットで一冊5000円とか、6000円とかいう突拍子もない値段がついている。


    [No.447] Re: 五木寛之:人間の運命 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 20:17
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    >  親鸞聖人が「宿業」ということを言う。

    ある過酷な状況下で、心優しく、人間的な人は、なかなか生きのびることはできない。
    そんな意見に対して、当然、反論もあるだろう。
    アウシュヴィッツの「夜と霧」のなかを生きのびたフランクル自身が、その証明でもある。

    しかし、著者の知る限りでは、終戦後の時期みずからを犠牲にして他人を生かそうとする人間は、犠牲になることが多かった。、

    たとえば国境線を越えての脱出行がある。トラックの荷台には、脱出者がぎゅうぎゅうづめになっていて、あと一人しかのせる余裕がない。
    そんな場面で、二人の脱出者がつみ残されており、どちらか一人しかのせられないとなったらどうするか。
    礼儀正しく、「あなたがおのりなさい」とか、「あなたがどうぞ、私が残ります」と
    身をひく人は、まず生きのびることはできなかったった。
    相手をつきとばしてでも、トラックにとびのった者が、帰国できたのである。

    そんな場面が数限りあった。そして結局、そこを生きのびて引き揚げ、帰国できたのは、いわば悪人だけだったのではあるまいか。

    みなが助け合って幸運にも脱出できた、という話を、五木寛之は夢のようなおとぎばなしとして聞く。

    極限状態のなかで、生きのびた者はみな悪人である、と五木寛之は思う。


    [No.445] 真実一路 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 19:28
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    「真実一路」は山本有三の作品だが
    真面目すぎていささか読むのに疲れる小説である。

    同じ作家の「路傍の石」のほうがまだ冷静に読める。

    父義平と姉しず子と三人で暮らしている小学生の義夫は近頃反抗的だった。
    年の離れた姉はやさしいが、父親はわがままを許さない厳格な性格の持ち主で何かというとあれこれ義夫を叱っていた。

    母は亡くなったと聞かされているが、義夫はひょんなことから
    もしや実母は生きているのではないかと考えるようになる。

    姉のしず子は弟に母が生きていることを話すべきか迷っていた。
    母は10年前に家を出て、今では愛人と暮らしながら、場末の飲み屋を経営している。

    だが、姉しず子も縁談が自らの出生を理由に破談になったことを知り
    自分の出生にも秘密があるのではないかと考える。

    そのうち父の義平が亡くなり、残された遺書から、しず子は自分の出生の秘密と父母の真実を知る。

    母は腹の中に死別した恋人の子(しず子)を宿したまま
    やむなく義平に嫁いだのだった。

    事情を知りながらも結婚した義平がいくらつくしても
    死んだ恋人を忘れられない妻(しず子の母)は義平を愛することはなかった。

    そうして、子を置いて家を飛び出したのは感情のままに生きる母の信じた道であり
    逆に父は残された子と自らの理性を守り通したのだった。
     
    作者自身も結婚に失敗した経験を持つ。
    恩人に勧められた縁談だったが、相性があわず離婚した。

    義平がしず子宛の遺書で
    男女の相性の大切さ、真実に生きることの尊さを説いているのは
    作者自身の経験によるものである。


    [No.444] Re: 関口・初等ドイツ語講座 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 18:45
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    唐辛子 紋次郎さん、みなさん。

    > > >  大むかし、関口存男(つぎお)という方がいて、みなその参考書を使ったような気がします。

    > > この本は持っています。
    > > とりあげるかどうか迷っていたのですが
    > > 唐辛子 紋次郎さんが取り上げてくださいました。

    >  あっ、そうなんですか。男爵さんが取り上げる予定だったんですか。それはどうもすみません。

    いいえ
    あんまり専門すぎるから
    どうかなと心配していたので
    唐辛子 紋次郎さんのお世話になりました。

    >  ところで、もし同上の本の旧版をお持ちでしたら、その写真をアップして頂けませんか。スゴク見たいです。(*^_^*)


    いちおう
    私の持っている本はあります。
    写真は一週間後にお待ちください。

    関口存男の孫の
    慶應大学ドイツ語教授だった関口一郎一郎先生には
    某学会で原稿を依頼することになったので
    連絡をとってみたのですが返事がなく
    ちょうどそのころ 2001年9月25日に亡くなったのでした。

    1984〜1989年、NHK教育テレビ「ドイツ語講座」の講師としても活躍しました。


    [No.443] 忘れえぬ人々 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/05(Mon) 18:34
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    画像サイズ: 760×587 (78kB)
     溝の口は、かつての「大山街道」沿いにあり、二子の渡しを渡った最初の宿場として江戸時代より栄えた場所である。
    神奈川県伊勢原にある大山は、不動信仰の場所として知られ、参詣者も少なくなかった。

     宿場の中心地であった溝の口神社の手前、つまり二子の渡しを渡った場所に「亀屋」という旅館があった。
    近年になって「亀屋会館」と名前を変え、総合結婚式場として周辺の若者を引きつけた時代もあったが、営業不振でなくなってしまった。

     この旅館を舞台にして、独歩が「忘れえぬ人々」を書き、小説として発表した。
    その縁でここに独歩の碑が建てられた。石碑は、会館の駐車場入り口に建てられていたのだが、現在は高津図書館前へと移された。

    メロウ倶楽部の行事で何度か溝の口に行ったとき
    この石碑を見てきた。

    忘れえぬ人々
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/1409_34798.html
    教科書にあった。今も忘れられない独歩の心に残る文章。


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