[No.243]
初めに空腹ありき
投稿者:男爵
投稿日:2013/01/21(Mon) 10:53
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ザックスさん、まやさん、みなさん
> > あの頃は酒も手に入らないし、第一、ゲルピンでしたね。
> 学生はゲルピンですが
> 特にあの頃は大変でしたね。
> 比較的恵まれていたはずの
> 北杜夫も松本高校時代のことを書いていた
> 書き物を読むと
> 当時の厳しい学生の食事状態が想像できます。
「どくとるマンボウ青春記」から少し紹介しましょう。
終戦になって大町の工場から松本高校に戻ってきた北杜夫たち
初めに空腹ありき
毎度の雑炊はだんだん薄くなっていった。それに箸を立ててみて、箸が立つときは喜ばねばならなかった。
そのころ最大のご馳走は、固い飯のカレーライスだったが、それも米ではなく、コーリャンの飯だった。
はじめ米とまぜて赤白ダンダラだったものが、ついにコーリャンだけの赤い飯になってしまった。
食卓には大根などの漬物も出た。四人に一皿で、ちらと見てそこに十四切れあるとすると、なんとか体面を損なわず、ごく自然に四切れ食べられないものかと、痛切に考えた。
(北杜夫は終戦後、山形の父の疎開先ですごすときは白米を食べることができた。しかし、父は「あまり食べるな」と言ったので、三杯で箸をおいた)
学校が再開されたその秋は、畑のネギを盗んだり、柿を盗みにいったり、そんなことばかり思い出すという。
盗むことを彼らは「パクる」と言ったが、それは「包む(パッケン)」からきた言葉らしい。 ナルホド 「パクる」は、松高用語である。