冬の食卓 いま・むかし 
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[No.510] Re: にごり酒 投稿者:男爵  投稿日:2013/02/24(Sun) 06:15
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> にごり酒というキーワードを知ったのは
>  島崎藤村の「千曲川旅情の歌」
> です。
>
>   小諸なる 古城のほとり
>   雲白く 遊子悲しむ
>    ..........
>   濁り酒 濁れる飲みて
>   草枕 しばし慰む

明治32(1899)年に自家醸造酒が禁止、つまり、にごり酒も飲めなくなってしまった。
この藤村が詩集を発表したのは明治34(1901)年だったから
もう当時から、にごり酒は飲めなくなってしまった。

日清戦争、日露戦争と続く莫大な軍事費を調達するため
明治政府は酒税を完全管理したかった。だから、自家醸造は脱税とみなした。
その結果、どぶろく、にごり酒は厳禁となってしまったのだ。

東京オリンピックの年、「月の桂」が努力の末、にごり酒をだした。
そこでは、税務署との戦いがあった。 網で濾しているからと頑張って、とうとう税務署に認めさせた。

30年くらい前に、地元の酒造会社がにごり酒を出して
ある人から美味しいと教えられ、それから冬に楽しむようになった。
鉄道が宣伝していたディスカバージャパンのころ
市内の居酒屋でこのにごり酒を飲む竹下景子のポスターが、全国の主な駅に貼ってあったことがある。

いまでは、地域おこしというわけで、どぶろく特区では、国が特別に用意した条件をクリアすれば、どぶろくも合法的につくることができ、お客も飲める。

   本郷明美:どはどぶろくのど、講談社

終戦後、日本各地で、ヤミのどぶろく造りがおこなわれたが
東大教授の姜 尚中も、終戦後やはり母親が、マッコリを造って
飲食店で客に提供したため何度も警察に摘発されたということを書いている。
 モツ焼きとかマッコリを楽しむ客がひいきにしてくれたから、姜教授の母親も留置所に入れられても、何度もマッコリを造っていたのだろう。


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