運動会・遠足・学芸会・展覧会 
(期間:2013.11.1 - 2013.12.31)

今回は、運動会・遠足・学芸会・展覧会など
小学校時代の懐かしい思い出、少し苦い思い出など書いてください。
中学校(女学校)時代のことでもいいです。
戦中・戦後、いろいろな事情で学校行事が開催できなかったこともあったと思います。
そんなことも書いてください。


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  • [No.58] 二人三脚 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/08(Fri) 04:52
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    運動会で二人三脚という種目があります。

    これはなかなか大変です。

    二人の呼吸が合わないとむずかしい。


    [No.57] Re: 運動会/借物競走 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/08(Fri) 04:49
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    あやさん

    > 運動会での借り物競争は定番ですね。
    > 私も毎年やっていますが、借り物が人間の場合困るときがあります。
    > そこにいてくれないで、探さなくてはいけないなってありました。
    >
    > 私も借り物になったことがあります。でも速く走れずに大変でした。

    あやさんを借りるのですか。

    一度に二人から借りられるということはないですね。


    [No.56] Re: 運動会/借物競走 投稿者:あや  投稿日:2013/11/07(Thu) 20:40
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    >
    > > > もし会場で目的の物が借りられなかったらどうするのでしょう
    > > > と心配してしまいます。
    >
    > >  いえ借りられないようなモノは紙に書かないのが「書く人間」の常識であり、
    > > マナーなのです。苦労しても必ず「借りられるもの」を選ばねばなりません。
    >
    > 責任重大です。

    運動会での借り物競争は定番ですね。
    私も毎年やっていますが、借り物が人間の場合困るときがあります。
    そこにいてくれないで、探さなくてはいけないなってありました。

    私も借り物になったことがあります。でも速く走れずに大変でした。


    [No.55] Re: 学校側の言い分 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/07(Thu) 19:36
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    こんなことも書いてありました。

    > ある校長先生が退職したときの本からです。

    運動会の途中で雨になりました。
    徒競走の途中で中断しました。
      (どうやら運動会は延期になったみたい)

    区切りのよいところまで進めることも考えましたが
    雨の中でじっと我慢している1年生を見て
    一刻も早く教室に入れることを優先すべきと考えました。

    親は中断したことに腹を立ててはいけません。
    人生、いつも区切りのよいところで終わるとは限らないのです。

    いつもと変わらない精神状態ですごした子どもの場合
    その度胸のよさを認め、さらに厳しい試練に耐えられるように自信をもってその子を鍛えていきましょう。

    少なくとも、やむを得ずそうなってしまったことに腹を立てたり悔しがったりする人間にしてはいけません。

    今の子どもの多くは、自分の思いのままにならない時に、その現実に耐えることを苦手としています。

    もしかして、その原因は自分の番の直前でやむを得ず中断という経験が少ないことにあるのかもしれません。

    満たされた環境で行う教育で、最もむずかしいのが、自分の思いどおりにならない時の「我慢する力」の育成です。

    >   野口晃男編:校長室の窓から

    思い通りにならないとき、我慢できないまま育ったら
    ストーカーになったり、暴力事件を起こしたりする?

    有名スポーツ選手がタクシー運転手に暴力事件を起こしたのも
    彼は我慢できない人間だったから? (酒を読んで抑制力が低下した)


    [No.54] Re: 遠足の行き先 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/07(Thu) 19:11
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    BUPさん  安房守さん 今晩は

    > 私は馬込に有った会社に就職してその会社の寮で一年弱過ごしたことがあります。
    > その後に馬込文士村の名前くらいは聞いたことがありますが、
    > 今あらためてネットで見て吃驚です。
    > http://www.magome-bunshimura.jp/uploads/img458a38c7722bd.gif

    > 当時、そんな事に全く興味が無く毎晩飲み歩いていて、
    > 給料日に借金を払って廻ると殆ど手元に残らない、私の馬込の想い出はそんなものです。

    それは残念でしたね。
    灯台もと暗しでしょうか。(ちがうかもしれませんが)

    飲む場所は揃っていそうな場所ですね。


    [No.53] Re: 遠足の行き先 投稿者:安房守  投稿日:2013/11/07(Thu) 19:04
    [関連記事URL:http://homepage1.nifty.com/AWA/

    BUPさん 男爵さん 今晩は

    私は馬込に有った会社に就職してその会社の寮で一年弱過ごしたことがあります。
    その後に馬込文士村の名前くらいは聞いたことがありますが、
    今あらためてネットで見て吃驚です。
    http://www.magome-bunshimura.jp/uploads/img458a38c7722bd.gif
    当時、そんな事に全く興味が無く毎晩飲み歩いていて、
    給料日に借金を払って廻ると殆ど手元に残らない、私の馬込の想い出はそんなものです。

    安房守

    > 馬込といえば 馬込文士村
    > ここには、大正後期から昭和初期にかけて東京府荏原郡馬込村を中心に多くの文士、芸術家が暮らしていた地域。
    > 現在の住居表示だと東京都大田区の山王、馬込、中央の一帯となるのだそうです。
    >
    > しかし
    > 東京大空襲のときに
    > 南方の戦地に向かったのですか。
    >
    > 生死の境を生き延びてきたんですね。


    [No.52] Re: 卒業旅行なし 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/07(Thu) 17:23
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    オアシスさん

    > 小学校 戦時中、しかも敗戦まえで それどころじゃなし。

    > 新制高校の卒業旅行は、先生方の意見が分かれまだ今年は見送ろう
    > で、27年からとなったようです。
    > 大学は卒業旅行はありませんので、小・中・高と 全く卒業旅行なし
    > でした。 残念、無念。(--)ム!

    そういう人もいたんですね。
    一種の戦争犠牲者。

    ところで
    学童疎開は経験されませんでしたか?


    [No.51] 卒業旅行なし 投稿者:   投稿日:2013/11/07(Thu) 17:16
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    小学校 戦時中、しかも敗戦まえで それどころじゃなし。

    中学(旧制)学制改革で新制高校卒、それとまだ戦後の混乱期
    中学卒 昭和23年、新制高校 昭和26年 その間中学の卒業は
    正確には新制高校併置中学そつです。

    新制高校の卒業旅行は、先生方の意見が分かれまだ今年は見送ろう
    で、27年からとなったようです。
    大学は卒業旅行はありませんので、小・中・高と 全く卒業旅行なし
    でした。 残念、無念。(--)ム!


    [No.50] Re: 遠足の行き先 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/07(Thu) 16:31
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    BUPさん コンニチハ

    > 大森駅の近所に白木屋が出来て、エレベーターに乗りに通ってました。
    > 図書館も大森駅方向で、”のらくろ”の漫画を見に通ってました。
    > 戦時中に強制疎開で、大森駅近くの馬込の高台に転居しました。
    > 昭和20年の東京大空襲の夜、たかたま輸送機のエンジン交換で、内地に居て、大森馬込の家で、夜中に北の方角が真っ赤に燃えているのを目撃しましたが、翌日、何も知らずに、羽田から空路、南の最前線へ向かいました。

    馬込といえば 馬込文士村
    ここには、大正後期から昭和初期にかけて東京府荏原郡馬込村を中心に多くの文士、芸術家が暮らしていた地域。
    現在の住居表示だと東京都大田区の山王、馬込、中央の一帯となるのだそうです。

    しかし
    東京大空襲のときに
    南方の戦地に向かったのですか。

    生死の境を生き延びてきたんですね。


    [No.49] Re: 遠足の行き先 投稿者:BUP  投稿日:2013/11/07(Thu) 16:18
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    男爵さん コンニチハ
    >  帝国女子医専って
    > 朝の連続テレビ小説『梅ちゃん先生』の主人公が女子医学専門学校で学び、蒲田の町医者へと成長していく、あのドラマと関係のある学校ですか。
    書き忘れました、その通りです。
    当時、堤方町に在った、当家から、帝国女子医専の寄宿舎の間の道を通り大森第三尋常小学校まで、10分くらいの距離でした。
    国電(当時は省線)の駅は蒲田駅の方が近くで、中学に進学してからは蒲田駅から乗車してました、
    大森駅の近所に白木屋が出来て、エレベーターに乗りに通ってました。
    図書館も大森駅方向で、”のらくろ”の漫画を見に通ってました。
    戦時中に強制疎開で、大森駅近くの馬込の高台に転居しました。
    昭和20年の東京大空襲の夜、たかたま輸送機のエンジン交換で、内地に居て、大森馬込の家で、夜中に北の方角が真っ赤に燃えているのを目撃しましたが、翌日、何も知らずに、羽田から空路、南の最前線へ向かいました。
    以上、想い出したママ。


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