運動会・遠足・学芸会・展覧会 
(期間:2013.11.1 - 2013.12.31)

今回は、運動会・遠足・学芸会・展覧会など
小学校時代の懐かしい思い出、少し苦い思い出など書いてください。
中学校(女学校)時代のことでもいいです。
戦中・戦後、いろいろな事情で学校行事が開催できなかったこともあったと思います。
そんなことも書いてください。


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  • [No.139] Re: ちびまる子の遠足 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/24(Sun) 07:19
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    画像サイズ: 209×236 (5kB)
    > > その原書を探してきました。   第5巻

    > 香港のセブンイレブンには中国の新聞や本が売っていたが
    > 漫画「ちびまる子ちゃん」が売っていたのには驚いた。
    >
    > 以下に、日本語と中国語(香港)訳を対比して紹介する。
    > 楽しい中国語の勉強です。
    >
    > 櫻桃小丸子    ちびまる子ちゃん

    まる子は遠足がきらい
    とくに山の遠足は最悪。

    山登りが苦手。

    「それに 山って お便所ないし」
      ここの香港訳は
     而且在山上 又没有 洗手間

    没有(メイヨー)は中国ではよく聞く。
     ないという意味。 メイヨーと言われとナイヨーと聞こえる。

    洗手間はトイレのこと。  この表示を知っていると役に立つ。

    アウトドアでは、さくらももこ同様
    トイレのことがあるから、おっくうですね。


    [No.138] Re: 心に灯をともす教育 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/24(Sun) 05:33
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    > 白井重行:心に灯をともす教育

    修学旅行は三年生になって間もない五月の下旬、四泊五日の行程で、東北方面に行く。

    倫理社会を担当していた著者は、毎年二年生を担任してきたので
    一度もこの旅行に付添ったことはなかった。

    「せっかくの修学旅行に、白井先生と一緒に行けなかったのがとても残念でした」と多くの生徒から聞くのは、毎年のことだった。

    それらの生徒たちが、あるいは個人で、あるいは数人組んでお土産をくれた。

    おそらく、あれにしようか、これにしようかと考えあぐねた末に、買ってきてくれたのであろう。
    そのお土産を、にこにこしながら持ってきてくれる生徒たちから、とても温かいものを感じる。

    著者は、その喜びを歌に託して、後日、それぞれの生徒ひとりひとりに渡した。
    (贈ってくれた生徒名、お土産名とともに日記に記した)

      みちのくの ひなの銘菓の うまし味
        乙女心を じかに つたえて

      思わざる  夫婦湯呑の お土産に
        しのぶは乙女の やさしの情

      幸せを 呼ぶてう 赤べこ 贈りくれし
        やさしの目見と ともに忘れじ


    [No.137] Re: ちびまる子の遠足 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/23(Sat) 15:56
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    > その原書を探してきました。   第5巻

    櫻桃小丸子

    香港のセブンイレブンには中国の新聞や本が売っていたが
    漫画「ちびまる子ちゃん」が売っていたのには驚いた。

    以下に、日本語と中国語(香港)訳を対比して紹介する。
    楽しい中国語の勉強です。

    櫻桃小丸子    ちびまる子ちゃん

    > 遠足の出発前
    > 校長先生のあいさつが始まる。

    > 「今日は晴れてよかった」と校長先生の話は長々と続く。

    今天的天氣 眞的十分好  今日は晴れてよかった

    > まる子は花輪クンからそのフランス製のチョコレート2粒もらい
    > 大切に持ち帰るが

    朱古力      チョコレート
    法國       フランス

    媽媽       おかあさん
    姐姐       おねえちゃん

    香港は台湾の漢字と同じで、戦前の難しい漢字。
    でも、北京の簡体字はJISにないから
    ここで表示はできない。
    (北京版の漫画の本もあるが、紹介できないのが残念)


    [No.136] 心に灯をともす教育 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/23(Sat) 14:47
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    白井重行:心に灯をともす教育

    この著者は大阪市立北陵中学校の校長のとき
    「生きている緑の学園」という著書を書いている。

    教職員と全校生徒が一緒になって、芝や草を一本一本植えていって
    すばらしい緑の学園を作った。
    やがてそれは校門を出て、隣接する街角の道路にまで広がって
    地域のオアシスともなった。

    校長先生の目から見た学校教育のあるべき姿を書いている本ですが
    私は、これを生徒の学校体験のひとつの資料としてみて
    無理にこの部屋のテーマにあわせて、なんとか記事として紹介しようと思います。


    郊外教育の一環として
    秋晴れの一日を、京都東山方面に遊び
    将軍塚で昼食をとって、楽しい休憩時間をすごした後
    知恩院を経て四条河原町への道を、各班ごとに移動した。

    ところが、生徒に渡してあった地図が不正確であった上
    設置した道しるべも不十分であったため
    道に迷った班がいくつも出た。

    特に遅れた第四班はずいぶん遅れて到着した。

    彼らは
    ひどく心配して待っていた先生方の気持ちを知らず
    駅の近くで土産物を買ってゆうゆうと帰ってくるやいなや
    「○○先生の道の教え方が悪かったから...」等と
    その先生に抗議したものだから、この校長にとっちめられてしまった。

    一人ではなく大勢だから、道に迷った不安も少なく
    なんとか駅までたどりついたので安心して
    お土産を買う気持ちにもなったのだろう。

    京都に不慣れな生徒の立場からすると
    正確な地図を持たされても簡単に歩けないと思われる。
    まして不正確な地図では、きっと苦労したことだろう。

    いまなら生徒も携帯電話で先生に聞いたり、刻々いるところを報告したりするから
    先生も対応できてそんなに心配しないだろうが。

    オリエンテーリングというゲームがあるが
    地図を見ながら、知らないところを歩くことは一種のスポーツみたいなもので
    楽しんだり知的ゲームと考えられるかもしれない。

    「喫茶室」で話題になっている
    本「話を聞かない男、地図が読めない女」を読むと
    地図を見ながら目的地に到達することはなかなか大変な仕事だということがわかります。

    大きな町ほど、道路も建物も多いから、目印の建物や交差点などが
    簡単に判別しにくいのです。

    知らない町で道を探しながら歩くとき
    勘のいい人もいますが、勘の悪い人もいます、


    [No.135] 戦下のレシピ 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/23(Sat) 08:36
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    斎藤美奈子:戦下のレシピ  岩波書店

    この本の39頁に
    高等女学校での木刀の稽古風景(昭和13年)の写真が載っている。
      昨日ある人から聞いた話では、奥さんが剣道五段で木刀を手元に置いているという人の話を聞いた相手が、では何かクレームを言うときは木刀を隠してからでないと(いけませんね)と笑って言った。

    この本にはこんな詩も載っています。

    女子軍事教練(詩・西条八十)
     軍国の風颯爽と
     吹け吹け、大和撫子を、
     可憐の瞳、黒い髪、
     かれらも銃を担うなり。
     教練の朝、よく晴れて、
     若き配属将校の
     号令の声ほがらかに
     遠く微笑む空の富士。
     帝都に敵機襲来の
     その暁を想うとき、
     銃後の花というなかれ、
     女も御国の兵(つわもの)ぞ。
     白き繊手に、フランスの
     危機を救えるジャン・ダルク、
     その面影を夢みつつ、
     昂然として、かれら行く。
     日ごろ嫌いな草原の
     毛虫芋虫、なんのその
     隊伍堂々踏みつけて
     かれらは歩む、一、二、三!
      (主婦之友 昭和十二年九月号)

    別サイトには写真が載っている。
    http://www.geocities.jp/abm168/GUNKA/gunka.html


    [No.134] Re: 小学生の作文 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/22(Fri) 21:28
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    > > > > > > > > > > 運動会・遠足・学芸会・展覧会について話題を広げるため
    > > > > > > > > > > 図書館で何か参考になりそうな本を探したのですが
    > > > > > > > > > > なかなか見つけられません。
    > > > > > > > > > >
    > > > > > > > > > > 一番ほしいのは、小学生の時の思い出を書いた本です。
    > > > > > > > >
    > > > > > > > > > なんとか
    > > > > > > > > > 図書館で小学生の作文集を見つけました。

    紹介したものは
    だいたい10年くらい前のものなので
    戦前の小学校の様子とはだいぶ変わっています。

    (昭和10年代と平成10年代)比較すると
    それぞれの特徴がわかるから
    比較もいいかと思って紹介しました。

    そのうちまた
    適当な資料が見つかったら
    紹介したいと思います。


    [No.133] Re: 尋常小学校ものがたり 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/21(Thu) 16:21
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    > > 竹内途夫:尋常小学校ものがたり
    >
    > > 著者は岡山県の農家に生まれた。

    著者は昭和2年に尋常小学校に入学した。

    日本美術学校洋画科を経て、法政大学高等師範部を大戦勃発により繰り上げ卒業。

    現役兵として砲兵連隊に入隊。任官とともに転科し、船舶部隊幹部として南方諸作戦に参加。
    玉砕部隊の生き残りとして辛くも生還する。

    復員後は中学。高校の美術教師、編集者を経て幼児の絵の研究に入り、日本保育美術研究会を主催。

    だから、この本にはたくさんのイラストが描かれてあるが、当時の時代風俗を正確に反映していると思われる。
    女子生徒の和服と洋服の混在している当時の様子などは興味深い。

    この本の紹介を数回にわたって行ったが、最後に著者のあとがきの一部を紹介してこの一連の記事を終えたいと考えます。

       −−−−−

    本書は、あくまでも昭和という時代を生きた者の証言という立場を貫いたつもりであるが、筆を進め、挿絵を描く間に絶えず脳裡を往き来した思いは、子どもの頃の義務教育が、国の将来にいかに大きく影響するかということと、長い歴史の中で培われてきた文化や伝統や、固有の風土を無視した教育は、決して堅実な発達を見せないということだった。

    前者については、大戦前の日本の義務教育に誤りがあったとすればすぐ説明がつく。
    後者については、たとえば西欧の資本主義国圏に見る民主教育は、各国が決して同じではなく、それぞれの国柄に合った独自の発達を見せていると言えば納得できるはずである。

    戦に敗れて百八十度の転換を強いられた日本の教育も、もうそろそろ日本固有の文化や伝統を取り込んだ民主主義のあり方を考えてもよいのではないかと思う。
    たとえば資源に乏しい日本の、物を大切にして無駄な消費を戒めた質素倹約の美徳も、先祖を尊び、両親を敬い、年寄りを大切にする美風も、国家主義でも軍国主義でもない、日本の風土にあった昔からの風習で、今の民主教育に矛盾するものではないと思う。

    私は保護司として二十年余り、多くの非行や犯罪少年の更生を担当してきたが、最近特にこの思いを強くする。

    本書が戦争を体験した人には、このうえない回顧と反省の書であってほしいし、戦争を知らない人には、昭和を理解するうえでの参考のひとつにでもなればと思い、また、教育に携わる人や、子どもの親である人には、これからの日本の義務教育を考えるうえでの、ささやかながらその資料のひとつにしていただければ幸いである。


    [No.132] Re: 尋常小学校ものがたり 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/21(Thu) 12:29
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    > 竹内途夫:尋常小学校ものがたり

    > 著者は岡山県の農家に生まれた。
    > 父の兄たちは農家をつかず外に出て就職したが
    > 三男の父は農家の跡取りとなった。
    > 父の弟は東大を出たという。

    昭和4年は世界大恐慌の嵐が吹いて不況のどん底だった。
    小津安二郎の映画「大学は出たけれど」の題名はそのまま時代を象徴する流行語となった。

    それを地でいく男がいた。
    それは一番下の叔父で、
    叔父は東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業した。

    卒業しても就職できず実家に帰ってきて待つこと半年
    やっと就職できたのは神戸の小学校の代用教員だった。

    翌年心配した祖父が様子を見てこいといって
    著者に大枚五円を奮発してくれたので
    海水浴をかねて従兄の中学生と一緒に二人で
    岡山から神戸の叔父を訪ねた。

    六畳二間の新築の家に、通い女中を使っての生活は結構満足しているように見えた。
    それは暇を見つけて京都や奈良の古寺を訪ね、大学で専攻した美術史の仏像彫刻の研究ができるようになったためで
    慣れぬ学校勤めのうさばらしにもなっていた。

    勤め先の学校はずいぶん居心地が悪るそうで、校長や同僚とも打ちとけず
    子どもの扱いにも当惑しているらしいことは、叔父の話しぶりから想像できた。

    その日は、叔父は日直で不在だったので、何気なく開けた机の引き出しには
    四枚の教員免許状と一通の辞令があった。
    免許状は師範学校・中学校・高等女学校の国語、漢文、日本史、西洋史の文部省の教員免許状であり
    辞令は小学校の代用教員を命じたものであった。
    (師範学校は小学校の先生を養成する学校である。その師範学校の先生になれる資格があるのに、なぜ小学校では正式の教師になれないのだろうと疑問に思った)

    代用教員でも、月額九十円を給するのだった。帝大出は違うものだなと思った。

    約一年間辛抱した叔父は、神奈川県の平塚農学校の国漢の教師になった。
    給料は月額八十五円になった。

    貧しい百姓の子らは給料取りが羨ましかった。

    給料取りも、学校の教師や駐在所の巡査のように、退職したら恩給がつくのが本物で、恩給のつかない役場の吏員やできたばかりの信用組合の事務員とははっきり区別していた。

    恩給のつく本物のサラリーマンの最たる者が、村の学校の校長先生だった。

    校長は百二十円の給料で、教頭は九十円、師範での若い先生は六十円、代用教員は三十円の月給だった。

    子ども達は計算した。米一俵を六円とすれば
    校長は月二十俵、年に二百四十俵の米を家に運ぶことになる。
    当時の農家の場合、一反五俵が平均収量だったから、校長は一人で五町歩近い田圃を耕す大百姓ということになる。

    一町歩を作る百姓は、家族三人ぐらいが汗水たらして働き、収穫する米は年五十俵、金にして三百円ぐらいだった。

    子だくさんの当時は、このうち飯米として少なくとも半分ちかくは確保しなくてはならなかったから
    売る米は二十五俵で、百五十円から二百円の収入ということになる。

    代用教員でも、月給三十円は、米にすれば月五俵、年六十俵になるから
    たった一人で一町二反の田圃を耕す中規模百姓ということになる。


    [No.131] ちびまる子の運動会 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/21(Thu) 08:44
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    > ちびまる子ちゃんは学園ものの漫画
    >  ちびまる子ちゃんのアニメは、原作の漫画とは少し違うところがある。

    ちびまる子ちゃんの漫画に
    運動会の話があるのを思い出して
    その原書を探してきました。   第2巻

     ひとりで勝手に運動会

    ももこが欠席していたら
    欠席裁判で運動会の係を押し付けられていた。

    学校に行ってびっくり
     ラインズマン (さくらももこ)
     準備係 (さくらももこ)
     得点集計 (さくらももこ)

    運動会では
    係だけでなく競技に出たり忙しいまる子

    きばせん
     上に乗ったまる子は、顔見知りに会うと いきなり友好条約をむすぶ要領のよさ
     敵に会うたび得意のえびす顔でうまくかわす
      戦うことなく生き残った

    「一年生のだるまさん競争の得点集計係は運動場の中央まで来てください」

    一等、二等、三等 ほんとうは整列しているはずなのに
    ごちゃごちゃしている集団

    一等の赤組の人数を数えるまる子
      ああっ ちょろちょろしないで もうっ
      よん ごう ろく しち はち  あ〜  わからん

    どうしよう
    はっきりした人数
    わからなかった

      ま いいさ
      どうせ
      赤組と白組の
      総合得点で
      毎年かなり
      差があるもんね

       ここでわたしが
       2、3人数えちがい
       したって
       そうたいした
       罪じゃないわよ

    しかし
    なんと驚いたことに
    その年の赤と白の
    総合得点は
     赤335 対 白336
    わずか一点差で白組の勝ち

    わたしが正確に
    数えていれば

    赤が勝った
    かもしれない

     ご め ん な さ い

    わたしはもう
    なきながら
    井戸の中で
    お経をよんで
    しまいたい
    気分であった

            かんじーざい ぼーさーっ

    このことは
    一生秘密に
    するしかない

    今日までだれにもいわずに生きてきた さくらももこ

    あれから
    9年も
    たってるじゃん
    3億円事件
    ですら
    7年で時効

    とうとう今回ネタに使ってしまった

    そういうわけで今回は
    いたいけな少女の
    重要秘密を公開した
    勇気あふれる作品
    なのですから

    いつもの「ほのぼの
    劇場」と同じく
    ライトなノリでも
    楽しめますが

    わたしにとっては
    思い出すたびに
    胸がチクッとなって
    しまうお話なのです
        (おしまい)

    こういう心にかかえていた小さな秘密は
    誰にでもあるでしょうね。

    それを長い間大事にして漫画につかってしまう
    さくらももこ やはり漫画家としての天分がある。


    [No.130] Re: 小学生の作文 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/20(Wed) 19:31
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    > > > > > > > > > 運動会・遠足・学芸会・展覧会について話題を広げるため
    > > > > > > > > > 図書館で何か参考になりそうな本を探したのですが
    > > > > > > > > > なかなか見つけられません。
    > > > > > > > > >
    > > > > > > > > > 一番ほしいのは、小学生の時の思い出を書いた本です。
    > > > > > > >
    > > > > > > > > なんとか
    > > > > > > > > 図書館で小学生の作文集を見つけました。

    (これも要点のみ)

     老人福祉施設を訪問して

    総合学習で福祉の勉強をした。

    それから、老人福祉施設に行った。

    施設に入ってまず思ったのは、展示してある作品がすごい。
    絵画や書道などいろいろあって、どれも上手でびっくりした。

    ホールに行くと大勢のお年寄りが集まっていた。

    この著者(六年生の女子)の相手はおばあさんだった。
    おばあさんは右手が使えないので、こちらが一人で紙ふうせんをつくったら「上手だ」
    とほめられた。紙ふうせんで遊んだ。

    おばあさんは「おはじきがしたい。私は両手が使えないからお手玉はだめなの」と言ったが、おはじきを持って行かなかったからできなかった。

    おばあさんを輪なげにさそった。
    車いすの移動が大変だった。お母さんや先生に手伝ってもらってできた。
    おばあさんは輪なげが上手でびっくりした。

    最後におばあさんがあくしゅをしてくれて、「ありがとう」と言ってくれた。

    私たちはお年寄りに元気をプレゼントして喜んでもらえたが、逆にお年寄りからボランティアする喜びをプレゼントされた気がする。


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