野菜はみんな奇形 (地球上に人間の先祖が現れてから今日にいたるまで、考古学の対象から歴史学の対象としてみれば) 人間は家畜を飼い、野生の植物から選んだ種子をまき、植物を栽培することを覚えました。 それから今に至るまで、作物の改良が続けられ、人間が利用する部分を最も効率よく生産する形に、作業を変えてきました。 作物を変えるといっても、工業製品のように、人間が勝手に新しい植物を作ることはできません。 植物の改良は、植物の中に自然に生ずる「変わりもの」を見つけ、それが人間にとって好ましいものであれば、それを選び出し、増やし、その中からまた変わりものを見つけて選んでいくという、気の長い方法で行われてきました。 現在、栽培されている野菜の多くも、長い歴史のなかで変わりものを選んで改良されたもので、自然から見れば奇形といえるものばかりです。
作物にはそれぞれふるさとがありますが、ふるさとに住んでいたはずの親戚がみな絶滅して、今となっては、ふるさとがどこであったのか、はっきりしないものもあります。 トマトはその点、幸せです。アンデスの山々には、トマトの祖先の子孫が、昔のままに今でも生活しています。 トマトの原産地はペルーですが、栽培するようになったはメキシコが最初であろうといわれています。 栽培トマトの元祖はセラシフォルメと呼ばれトマトで、現在の栽培トマトと同じ種です。
トマトの例のように、他の野菜も、その先祖からみれば、すっかり奇形化されたものになっています。そして自然の土の中にある養分だけでは、育てられないような大きなものになっています。 また、栽培という保護された環境に長いこと慣れ親しんできたために、自然の難しい条件のなかでもっていた病気や虫に強い性質を失ったものもあります。 雑草のようにたくましくといいますが、改良を加えられた野菜はこれとは反対に、深窓に育ったお嬢さんのようなもので、自然に帰してやっても、たくましい雑草に打ち負かされ、病気や虫に犯され、まともに育つことができません。
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ダーウィンの進化論を応用した人間の工夫で生まれた、今日の野菜。 人間の手がかかったから栽培され続けてきた野菜も もし人間のいないところにおかれたら、他のたくましい自然の生き物との生存競争に敗れて滅びてしまうかもしれない。
環境が変われば、それまで繁栄していた生き物が滅びて、かげにひっそりしていた生き物が代わって発展していくという現象は、地質時代にはよくあったことであろう。 中生代の末期に、恐竜が絶滅して、小さなほ乳類が仲間を増やしていった歴史を思い出しながらこれを書いています。 地球環境の変化で、生き物の種類が大きく変わったり、進化を繰り返していった生物の歴史を見渡すと 人間の生活環境という、自然とは違う環境の中で、生物の入れ替わりがあっても不思議ではないわけです。
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