瀬里恵さん こんにちは > > ヤマトタケルノ命は > > 父親の垂仁天皇から九州の南の熊曽退治を命ぜられ > > ヤマトタケルの尊の父親は、垂仁天皇ではなく、景行天皇ではありませんか。 > (注・命と尊の使い分けについて;一般に混同されているようですが天皇系 > には尊、臣民系には命を使うのが正しい)
参考にしたのは 福永 武彦 (著) 古事記物語 (岩波少年文庫 (508)) です。
ヤマトタケルノ命の父親は、垂仁天皇ではなく、景行天皇と書かれていたのを あるいは私が誤記したかもしれません。 すでに、この本は図書館に返却したので、いま確認できません。
> > 伊勢の大神宮でおばのヤマト姫から草薙の剣をもらいます。 > > 草薙の剣はヤマトタケルの焼き討ち事件の後に付けられた名称で > ヤマト姫から授けられた時点での剣名は「都牟刈の大刀」(これも > 時系列的には疑問ですが)と言うべきではないでしょうか。 > > この剣はスサノオの尊がヤマタノオロチを退治したときにオロチ > の尻尾から出てきた剣で、オロチの頭上にはいつも黒雲が漂っていた > 処から「天叢雲剣」と名付けられたと日本書紀には書かれています。
ご指摘の通りと思いますが 参考にした本には、読者が少年としたからか、はじめから草薙の剣と書いてありました。 もちろん、この事件のあとに、そういう名前が付けられたということも書いてありました。 > > ヤマトタケルノ命は小高い丘に登り周りの平原を見渡した。 > > この姿を見た土地の人たちがここを「日本平」と名付けた。 > > ということですが、これは古事記の原本にはないようです。 > > これは「日本/ニホン」という言葉が何時頃普及したか、と言う事と > 考え合わせる必要がある。古事記成立の以後に普及した言葉だと > 推察すれば、古事記にないのは当然ですネ。
日本平の由来を質問したら、ガイドさんの口から、古事記の日本武尊が出てきたので それではと思って念のために読んだわけです。 日本平は後世の人が、この故事にあやかって名前を付けたのでしょう。
> > ヤマトタケルノ命は > > 罠に陥れようとした悪者たちを斬り殺して焼いた。 > > この地が静岡県の焼津市ではないかと言われている。 > > そうガイドさんは説明してくれましたが > > 日本平と焼津は離れていますね。 > > まさにその通り… > > > ヤマトタケルノ命が相模に着いたとき > > 騙されて野原に誘われ回りから火をつけられます。 > > と貴方も書いておられるように焼き討ちの現場は「相模」の国なのに > なぜ尾張静岡の焼津市に摩り替わっているのか > 一考すべきプロブレムですネ。
焼津の名前は、いつどのように付けられたのか? ら、めーるさんに聞いてみたいところです。
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