[No.16024]
Re: 古事記に日本平はなかった
投稿者:瀬里恵
投稿日:2010/11/03(Wed) 16:33
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男爵さん、今日は…。
この部屋は私のPCからは、エラーによるアクセスボイコットがあって
暫く入れませんでした。お亀さんのカキコでゴメンなさい(笑)。
そこでチト気付いた事があるのでフォローします。
> ヤマトタケルノ命は
> 父親の垂仁天皇から九州の南の熊曽退治を命ぜられ
ヤマトタケルの尊の父親は、垂仁天皇ではなく、景行天皇ではありませんか。
(注・命と尊の使い分けについて;一般に混同されているようですが天皇系
には尊、臣民系には命を使うのが正しい)
> 伊勢の大神宮でおばのヤマト姫から草薙の剣をもらいます。
草薙の剣はヤマトタケルの焼き討ち事件の後に付けられた名称で
ヤマト姫から授けられた時点での剣名は「都牟刈の大刀」(これも
時系列的には疑問ですが)と言うべきではないでしょうか。
この剣はスサノオの尊がヤマタノオロチを退治したときにオロチ
の尻尾から出てきた剣で、オロチの頭上にはいつも黒雲が漂っていた
処から「天叢雲剣」と名付けられたと日本書紀には書かれています。
そしてこれは、天照大神の岩戸隠れの時に、岩戸の前の榊に飾られた
ヤタの鏡、ヤサカニの勾玉、とともに現在も三種の神器として皇位継承
の証明とされているものです。(ただし現物の正体というか信憑性
については色々な説がある)
> ヤマトタケルノ命は小高い丘に登り周りの平原を見渡した。
> この姿を見た土地の人たちがここを「日本平」と名付けた。
> ということですが、これは古事記の原本にはないようです。
これは「日本/ニホン」という言葉が何時頃普及したか、と言う事と
考え合わせる必要がある。古事記成立の以後に普及した言葉だと
推察すれば、古事記にないのは当然ですネ。
> ヤマトタケルノ命は
> 罠に陥れようとした悪者たちを斬り殺して焼いた。
> この地が静岡県の焼津市ではないかと言われている。
> そうガイドさんは説明してくれましたが
> 日本平と焼津は離れていますね。
まさにその通り…
> ヤマトタケルノ命が相模に着いたとき
> 騙されて野原に誘われ回りから火をつけられます。
と貴方も書いておられるように焼き討ちの現場は「相模」の国なのに
なぜ尾張静岡の焼津市に摩り替わっているのか
一考すべきプロブレムですネ。
では又ネ 瀬里恵