[No.16025]
Re: 古事記に日本平はなかった
投稿者:男爵
投稿日:2010/11/03(Wed) 17:29
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瀬里恵さん こんにちは
> > ヤマトタケルノ命は
> > 父親の垂仁天皇から九州の南の熊曽退治を命ぜられ
>
> ヤマトタケルの尊の父親は、垂仁天皇ではなく、景行天皇ではありませんか。
> (注・命と尊の使い分けについて;一般に混同されているようですが天皇系
> には尊、臣民系には命を使うのが正しい)
参考にしたのは
福永 武彦 (著) 古事記物語 (岩波少年文庫 (508))
です。
ヤマトタケルノ命の父親は、垂仁天皇ではなく、景行天皇と書かれていたのを
あるいは私が誤記したかもしれません。
すでに、この本は図書館に返却したので、いま確認できません。
> > 伊勢の大神宮でおばのヤマト姫から草薙の剣をもらいます。
>
> 草薙の剣はヤマトタケルの焼き討ち事件の後に付けられた名称で
> ヤマト姫から授けられた時点での剣名は「都牟刈の大刀」(これも
> 時系列的には疑問ですが)と言うべきではないでしょうか。
>
> この剣はスサノオの尊がヤマタノオロチを退治したときにオロチ
> の尻尾から出てきた剣で、オロチの頭上にはいつも黒雲が漂っていた
> 処から「天叢雲剣」と名付けられたと日本書紀には書かれています。
ご指摘の通りと思いますが
参考にした本には、読者が少年としたからか、はじめから草薙の剣と書いてありました。
もちろん、この事件のあとに、そういう名前が付けられたということも書いてありました。
> > ヤマトタケルノ命は小高い丘に登り周りの平原を見渡した。
> > この姿を見た土地の人たちがここを「日本平」と名付けた。
> > ということですが、これは古事記の原本にはないようです。
>
> これは「日本/ニホン」という言葉が何時頃普及したか、と言う事と
> 考え合わせる必要がある。古事記成立の以後に普及した言葉だと
> 推察すれば、古事記にないのは当然ですネ。
日本平の由来を質問したら、ガイドさんの口から、古事記の日本武尊が出てきたので
それではと思って念のために読んだわけです。
日本平は後世の人が、この故事にあやかって名前を付けたのでしょう。
> > ヤマトタケルノ命は
> > 罠に陥れようとした悪者たちを斬り殺して焼いた。
> > この地が静岡県の焼津市ではないかと言われている。
> > そうガイドさんは説明してくれましたが
> > 日本平と焼津は離れていますね。
>
> まさにその通り…
>
> > ヤマトタケルノ命が相模に着いたとき
> > 騙されて野原に誘われ回りから火をつけられます。
>
> と貴方も書いておられるように焼き討ちの現場は「相模」の国なのに
> なぜ尾張静岡の焼津市に摩り替わっているのか
> 一考すべきプロブレムですネ。
焼津の名前は、いつどのように付けられたのか?
ら、めーるさんに聞いてみたいところです。