画像サイズ: 1264×428 (93kB) | > いまもなおマカオ関係の本を見ています。 > 菊間潤吾「マ> カオ歴史散歩」新潮社(2004)
香港がアヘン戦争で暴力的にイギリス領になるまで マカオは唯一外国人の利用できる港町であった。香港以前のイギリスもマカオを港としていた。 種子島の鉄砲伝来もマカオがなくては歴史上なかったであろう。 ザビエルの右腕の遺骨も日本に安置されるはずだったがキリシタン受難の日本では無理だということになり、結局マカオの教会に納められた。 アメリカ船もマカオを利用して、マカオから日本人漂流民を乗せたアメリカのモリソン号が出帆したという。 モリソン号は結局鎖国の日本には追い返され受け入れられなかったが この事件をきっかけに高野長英や渡辺崋山は幕府の鎖国政策を批判し 彼らの犠牲の上に日本は開国に向かう時代の流れとなる。
さて ポルトガル人はこの港町を利用するようになって 媽閣廟に祀る航海の女神「阿媽(アーマー)」の名にちなんで この町を「阿媽の湾(アマガウ)」と呼ぶようになった。 それがしだいに簡略化されてマカオになったという説が紹介されている。 なお中国名は澳門(オームン)である。
航海の安全を守る阿媽、ときには媽祖と言われたり天后と呼ばれたりする。 媽祖廟は香港にもあったが見る機会がなく、シンガポールの歴史博物館で その信仰の歴史を見ることができた。 日本には横濱媽祖廟がある。 |