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[No.383] 変な国・日本 投稿者:   投稿日:2007/09/26(Wed) 08:37
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皆さん、おはようございます 

 友人に薦められて文芸春秋(10月号)を読んだ。解剖学者・養老孟司(1937)と劇作家・山崎正和(1934)の対談「変な国。日本の禁煙原理主義」が面白かった。以下一部を紹介してみる。

 国家が個人にお節介を焼く傾向が年々強まっている。健康増進法の健康至上主義による「喫煙とメタボの排除」・・・健康増進に努めるのは国民の責務である等はほとんどファシズム国家の法律だ。なぜ日本人は違和感をもたないのか。

 そもそも医療が過大評価され過ぎている。「たばこの害は医学的に証明された」というがおこがましい。かも知れないので、医学的に証明出来ればノーベル賞ものですよ。
 
 アフガニスタンに行った医者が医療では埒が明かないので、いつの間にか井戸掘り屋になっている。医療よりも土建屋の方が人びとを救えると気が付いた訳です。日本女性の寿命は大正9年を境に延び始めた。理由が判らなかったが、その時期から水道の塩素消毒が始まっていることが突き止められた。水が清潔になって、乳幼児の死亡率が下がり、女性の健康に好影響を与えていたのだ。

 その他、タバコ対策検討会の怪、なぜタバコだけが取り締まられるか、ナチス・ドイツと健康崇拝、「老い」は治らない、60過ぎたら勝手にいていればいい。など痛快、痛快!

 60過ぎの喫煙者と非喫煙者の寿命に差がない。糖尿病の有無によっての差もない。ただ、60過ぎると人間の脳には大きな個人差が出てくる。急速に衰える人もいれば、横ばいで維持する人もいる。遺伝子がそうなっている。子孫を残した60過ぎが健康に気を付けてもしかたない。勝手にしていればいいですよと。

 どう思うか、個人の勝手ですが・・・・


[No.385] Re: 変な国・日本 投稿者:   投稿日:2007/09/27(Thu) 08:21
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> 皆さん、おはようございます 

人間は人の幸せを素直に喜べないものです。人の失敗をどこかで喜んでいるものです。人間社会は何かを槍玉にあげないと治まりが付かないものです。それが正しいか、正しくないかは問題ではないのです。もっともらしければ充分です。変化が欲しいのです。新鮮味がほしいのです。

 「民営化なくして改革なし」もその例です。禁煙至上主義も、もっともらしい槍玉です。美しい国・日本もそうです。スローガンや大儀名分もそうです。詳しい説明はいらないのです。テロ特もそうです。イスラムを槍玉にしています。拉致問題も解決しなくていいのです。出来るだけ槍玉にしておけばいいのです。本質を考える必要がないのです。民意をそちらに逸らしておけばいいのです。命を大切にせよと言っても、今一盛り上がらないのもその所為です。他人の不幸が必要なのです。

 正論は面白くありません。判っていてもどうにもならない閉塞感があるのです。それよりも目先を変えた方が面白いのです。槍玉も落着しない内に、新しい槍玉がいるのです。福田新政府は安定感があって、面白くなさそうです。小沢はどう攻めるのでしょう。国民の喝采をどう作るのでしょう。

 誰かが何処かでそんなことを言ったように思いますが・・結局、自己正当化はできても、自己否定は辛くて出来ないのです。自分のことは棚上げして、相手を攻めるだけです。あわれかな、人間よ!です。 


[No.386] Re: 変な国・日本 投稿者:   投稿日:2007/09/27(Thu) 14:08
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次に「面白さ」と「可笑しさ」を敢えて区別してみましょう。難しいことは言いたくても言えませんが、前者は発見、後者は矛盾とでも言いましょうか。

 そうすると、面白さはワクワク、ドキドキして未知の世界を覗くことでしょう。異性関係も知ってしまえば、それほど面白くないものです。知らない内は期待感があって夢にでも見ますが、結婚すれば、浮気の虫が騒ぐというものです。何が面白いといっても異性ほど面白いものはないでしょう。ただ、現実が厳しいだけです。現実を壊す勇気がないだけです。

 我慢するのが大変です。せめて人の失敗で溜飲を下げるしかないのです。露出して挑発するなど、持っての外の犯罪です。チカンと言われても片手落ちです。満員電車には乗らないで貰いたい。お蔭で一生を棒に振った者もいます。アラブのように、家にいるか、目だけ出して外出して欲しいものです。面白さも度を越すと悲劇になるのです。みせて貰えるだけで目の保養ですから、それ以上はいけませんね。

 可笑しさといえば、論理学上の確率が0のときです。駄洒落や落語の世界です。生真面目の間抜け、裸の王様の滑稽です。これは、面白さと違って罪のない話です。笑いを誘って、大いに奨励すべきでしょう。何しろ笑いは人類だけの特権です。霊長類の証です。動物が笑うのは想像しても気味が悪いことです。笑ったと言って、怒り出すご仁もいますがね。

 笑われた位は、大したことないです。人の健康に貢献したと思えばよいではありませんか。怒るのは体によくないです。我慢するのも良くないですが。いずれにしても、命に別状ないことです。一病息災といって、誰でも矛盾の一つや二つあるものです。健康の証です。世の中のことは、立場を変えれば何とでも言えますから、それほど目くじらを立てることではありませんね。


[No.422] Re: 変な国・日本 投稿者:   投稿日:2007/10/06(Sat) 16:26
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世の中が、何故思い通りにならないか考えてみました。何故そうなっているかは判りませんが、思い通りに行かないようになっているからです。至極当然の答えです。一見して、自然科学と人文科学、社会科学とは違って見えます。人には心があって、価値観や考え方がそれぞれで違うからです。千差万別を一つに統一しようとしても出来ないからです。何故違うかは別途考えるとして、自分で気が付いて変えることは出来ます。他から強制的に押し付けられるとかえって反発するようになっています。

したがって、独裁主義や専制君主主義などは国家や家庭においても、無理があるのです。次善の策となるのが、多数決で決める民主主義です。意見は大いに戦わすべきですが、決めるのは多数決です。等しく一票があります。結果が違っても文句は言えません。ただ、なんでもありと言う訳にはいきません。一定の規律が必要です。

法律の他に常識と言うルールがあります。誰かのように、法に触れないからと威張ってもおれません。非常識によって創造が生まれますが、共同生活である社会生活においては常識が欠かせません。この辺をしっかりと理解しておく必要があります。他人にしつこく干渉するのは、プライバシイの侵害にもなります。イジメも似たようなものです。また細々と法律で決めるのも無理があります。自由度がなくなって、身動きも出来なくなります。むしろ常識を養ったほうが利巧です。

 話が飛びますが、昔の哲人は「人間は考える葦」と言いました。何の武器や防護服も持たない人類が、今や万物の頂点に立っています。それは一重に思考力、つまり「思うと考える」の二つの力、右脳と左脳の力を持っていたからと考えます。

 近頃、手前勝手な環境破壊という愚かさが露呈しています。利己主義という自分の首をしめる自己矛盾も兼ね備えています。この愚かさに気が付かなければ、人類は破滅すると思うのです。核兵器もそうです。自分を守る為に作った筈なのに、その脅威に怯えています。世界中が核開発を止める時があるのでしょうか。これだけは価値観の統一を図りたいものです。 


[No.423] Re: 変な国・日本 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2007/10/08(Mon) 03:52
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>RE:[No.422] Re: 変な国・日本 投稿者:フ〜さん 投稿日:2007/10/06(Sat) 16:26

フ〜さんの良く纏められた整然たる御意見投稿に感服致しました。

                                  変蝠林(1917-)








 


[No.425] Re: 変な国・日本 投稿者:   投稿日:2007/10/09(Tue) 20:02
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次に、常識と非常識について考えてみます。常識とは社会人が持つ一般的な共通認識といえると思います。

 これは往々にして、個人によってかなりのズレがあります。家庭においても、男女においても、地域によってもズレがあります。また、年代や時代によっても変化するようです。しかし、社会生活において、トラブルを防ぐには共通認識という常識が欠かせません。いくら物を大事にするといっても、屋敷中をゴミの山にすると近所からクレームが来ます。自分の屋敷だからといっても、通りません。景観や悪臭などの迷惑が発生します。ゴミ出しにしても、常識的なルールがあります。ルールを無視すると社会から締め出されることもあります。

 一方において、非常識が大事な分野があります。芸術などの創作活動や発明・発見の先端科学技術などでは常識破りの非常識が欠かせません。あくまでも、非常識は周りに害を及ぼさない範囲に留めて貰いたいものです。

 芸術家とも若干のお付き合いがありますが、往々にしてこの区別が出来ない可笑しな大人がいます。昨今の青少年でも電車の中や道路でも、平然と迷惑行為をしてはばからないのを見かけます。親の顔を見たくなります。この区別を家庭でも、学校でも社会でも教えたいものです。

 最近はmonster parentsといって親が学校に噛み付いてくるそうです。校庭で石をぶつけられてケガをしたとします。ぶつけた相手よりも、校庭に石を置いていた学校が悪いと文句をいうそうです。すべて、社会や他人の所為にする風潮が強くなっています。自分を見詰めて反省することを忘れているようです。これでは、何を勉強しても意味がないですよね。困ったもので、何処か歯車が狂っています。どうしたらよいか頭を抱えてしまいます。このままでは、変な大人が増えると思う訳です。

 一度、どんな割合なのか、年齢別で常識の世論調査をしてみたいものです。人権侵害と言われますかね。


[No.431] Re: 変な国・日本 投稿者:   投稿日:2007/10/15(Mon) 10:00
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最近、多発する事件や報道について共通して思うことがあります。それは自己に対する判断力の不足だと思います。ただ、このように事件や報道になることからみて、他者への判断力が失われていないのが、せめてもの救いではあります。

 つまり、他人の所為には出来るが、自分の所為には出来ないということに帰結するように思うのです。つまり、不完全な自分の棚上げです。自分も含めて誰でも、その一面を持っています。しかし、一部では極端に走っているように思います。結果として自滅しているのです。といって、全てを自分の所為にするのも自己にとって危険なことです。

 曖昧な表現ですが、ほどよくバランスを取るのが健全と言えるのではないでしょうか。自己にとって都合のよい利己的で主観的判断力ではなく、たとえ自己にとって不都合でも、全体から自己を客観的にみる判断力を取り戻す必要を痛感します。いまや、学校や親や社会の所為にしている場合ではないと思います。即刻、自分を見直す時期だと思います。自分の為です。一人前の大人としての自立の為です。

 報道関係も報道しっぱなしで、視聴者に判断を委ねています。視聴者も、他人事のように面白ろ、可笑しく聞いているだけのように見えます。最近はコメンテーターに言わせるようにしていますが。なかなか踏み込めない領域のようです。主観の自由の侵害になるからでしょう。人に言われることではなくて、自分で気が付いて改めることでしょう。現代の苦悩とでもいう処です。つい、偉そうなことをいうのが、説教親父の悪い癖です。


[No.432] Re: 変な国・日本 投稿者:   投稿日:2007/10/16(Tue) 13:19
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福田総理になってから、どうも政治が面白くない。ひたすら平身低頭。民主も殴り甲斐がないのである。閣僚も優等生ばかりで、ボロを出さない。反則でもいいから、ぶん殴ってみてはどうか。協調路線というのか、クリンチだけでは面白くない。議員さん達もそろそろ居眠りを始めるのではないか。

 小生のような暇人にとっては、政治は最高のショウだと思っている。面白くないと、見応えがない。政界の裏表を知り尽くした政治評論家・三宅久光氏は「政治は元々面白くない」という。

 そうかなあ!面白くないと、国民は関心を持たなくなるのではないかなあ?勝手に決めて、後で問題になっても俺は知らんぞ!強行採決でもいいから、やってみたらどうか。グズグズしていると遅れるぞ。大体、話し合いで型がついた験しがない。思い切って突破口を開けたらどうか。


[No.433] Re: 変な国・日本 投稿者:   投稿日:2007/10/17(Wed) 16:14
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「神経の痛み」は、無論のこと、神様がくれた自己防衛力です。激痛を訴えている間は大丈夫です。通り越すと神経が麻痺して、朦朧として、気を失うようです。時代劇や交通事故でも判ります。

 麻酔薬は外科手術に欠かせません。いま、麻酔科の医師が不足して、全国を飛び回る忙しさといいます。麻酔は危険で技術を要する仕事です。麻酔科の医師は地味で成り手がいないようです。

 昔、兎を使った動物実験で麻酔を使ったことがあります。体重や体力によって注射量が変ります。注射速度もゆっくりです。過剰に、急激にやると蘇生しないのです。

ご存知のように、全身麻酔は静脈注射や点滴、局所麻酔は筋肉注射です。経口投与は痛み止めや睡眠薬くらいでしょう。モルヒネなどの麻薬もその部類でしょう。幻覚症状や依存性等の副作用もあるようです。取り扱い資格と厳重な保管義務があります。最近、唐辛子から麻酔成分が発見されたようですが。

 ともかく、神経の痛みは必要な時と不要な時があります。その辺を、わきまえておきたいものです。再放送のドラマ「医龍」でも陰で活躍しています。この原作者は多分漫画家と思いますが、相当に医学知識があるようです。

 という訳で麻酔科の医師が必要です。産婦人科医も小児科医も不足しています。僻地でも医師が不足しています。医療ミスや激務や老人医療の増大が原因しています。医師優遇税制を取っていますが限界のようです。高齢者負担増や医療制度全体の見直しが言われています。

 まあ、貧乏人は、出来るだけ免疫力を高めて病気にならないように、病気になっても医者にかからないようにするしかないのでしょう。判ってはいるけど、なかなか出来ないのです。さあ、どうするかです。

 出来るだけ体を動かして、縮んだ筋肉や筋を伸ばすことでしょうか。車社会のお蔭で、意外と脚力や腕力が衰えています。朝晩の散歩など、昔はなかったことです。食事も贅沢になっています。風呂も簡単に沸きます。洗濯、掃除も簡単です。昔に比べると、生活が格段に横着になっています。床の雑巾掛けが意外と脚力や腹筋力をつけます。庭の剪定ぐらい自分でやります。近所の用事は歩きで済ませます。パソコンや頭脳労働ばかりでなく、体の能力を呼び戻す必要を感じています。諸兄も、いろいろと実行されていることでしょう。失礼!