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[No.525] 元気を呉れた「異国の丘」に大感謝! 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 22:55
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 終戦後のあの辛い時代、ついめげそうになる紋爺のこころをいつもいつも暖かい言葉と旋律で励ましてくれた歌に、吉田正作曲の「異国の丘」がある。あっしは落ち込んだとき、この歌を声の限りに歌い続けた。

 とくに「我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 」と云うくだりは一生忘れられない。この歌に癒され、勇気をもらった人たちは紋爺以外にもきっと沢山いたに違いない、とあっしは今でも確信している。

 この歌がヒットすると、いつしか電車の車内に傷痍軍人、たいてい二人組みが現れ、一方がアコーデオンで曲を奏でると、他方がこの「異国の丘」を歌う風景が全国の津々浦々、どこででも見られるようになった。その人たちは、手や足に『名誉の負傷』をしていて、見るからに痛々しかった。

 あっしら前線に出なかったものは、惜しげもなく、その箱の中になけなしのお金を放り込んだ。

 そのうち、傷痍軍人の偽者がぞくぞく現れ、電車内で歌を歌い金を集め出した。あっしらには、どれがホンモノで、どれが偽者か、なかなか見分けがつかなかった。

 


[No.526] Re: 元気を呉れた「異国の丘」に大感謝! 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/23(Sun) 23:32
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唐辛子 紋次郎さん   こんばんは

> この歌がヒットすると、いつしか電車の車内に傷痍軍人、たいてい二人組みが現れ、一方がアコーデオンで曲を奏でると、他方がこの「異国の丘」を歌う風景が全国の津々浦々、どこででも見られるようになった。その人たちは、手や足に『名誉の負傷』をしていて、見るからに痛々しかった。
>
親戚に
職業軍人の人がいました。

その人が言うには
ホンモノの傷痍軍人には
政府から手厚い保護があるから
寄付をする必要は全くないということ。

しかし
私の母は理屈ではわかっていても
人の集まるところにいるに傷痍軍人風の人たちに
寄付をしていました。
  その都度、母は私の顔を見ながら「やっぱりねぇ」と言いました。

彼らは実態は芸人だったのですが、当時の日本人の心をなぐさめてくれました。
  セラピーと経済との調和していた微妙なひととき


[No.568] Re: 元気を呉れた「異国の丘」に大感謝! 投稿者:   投稿日:2011/01/30(Sun) 23:54
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 みなさん、まいど。   
>
> > この歌がヒットすると、いつしか電車の車内に傷痍軍人、たいてい二人組みが現れ、一方がアコーデオンで曲を奏でると、他方がこの「異国の丘」を歌う風景が全国の津々浦々、どこででも見られるようになった。その人たちは、手や足に『名誉の負傷』をしていて、見るからに痛々しかった。
> >
> 親戚に
> 職業軍人の人がいました。
>
> その人が言うには
> ホンモノの傷痍軍人には
> 政府から手厚い保護があるから
> 寄付をする必要は全くないということ。
>
> しかし
> 私の母は理屈ではわかっていても
> 人の集まるところにいるに傷痍軍人風の人たちに
> 寄付をしていました。
>   その都度、母は私の顔を見ながら「やっぱりねぇ」と言いました。
>
> 彼らは実態は芸人だったのですが、当時の日本人の心をなぐさめてくれました。
>   セラピーと経済との調和していた微妙なひととき

 Toshichanの戦後は、終っていません。
 で、此処には、上げませんでした。

 ラジオに「お好み投票音楽会」というのが、週に、一回あり
 1〜10位の音楽を毎週ながしていました。
 「あこがれのハワイ航路」が1番の頃「湯の町エレジー」がその内
1位になると、宛てたのですが、その時は未だ、ベスト10外だった
「異国の丘」が1番になると云ってビックリさせた友人が居ました。
 新聞社に就職しましたが、さすが、ジャーナリストになる人は
違うという、印象が,未だに残っています。

                        Toshichan in Kyouto-fu


[No.582] Re: 元気を呉れた「異国の丘」に大感謝! 投稿者:   投稿日:2011/01/31(Mon) 20:08
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> >
> > > この歌がヒットすると、いつしか電車の車内に傷痍軍人、たいてい二人組みが現れ、一方がアコーデオンで曲を奏でると、他方がこの「異国の丘」を歌う風景が全国の津々浦々、どこででも見られるようになった。その人たちは、手や足に『名誉の負傷』をしていて、見るからに痛々しかった。

歌はなんとかわかりますが、このような光景はわかりません。

> > しかし
> > 私の母は理屈ではわかっていても
> > 人の集まるところにいるに傷痍軍人風の人たちに
> > 寄付をしていました。
> >   その都度、母は私の顔を見ながら「やっぱりねぇ」と言いました。
> >
> > 彼らは実態は芸人だったのですが、当時の日本人の心をなぐさめてくれました。
> >   セラピーと経済との調和していた微妙なひととき

母上は情の厚い方だったのですね。すばらしいです。

>  ラジオに「お好み投票音楽会」というのが、週に、一回あり
>  1〜10位の音楽を毎週ながしていました。
>  「あこがれのハワイ航路」が1番の頃「湯の町エレジー」がその内
> 1位になると、宛てたのですが、

このような番組は知りませんでした。ラジオなどあまり聞いたことなかったです。
「あこがれのハワイ航路」って岡晴夫? ちがったかな? 歌っていましたっけ。
この方にはお会いしたことがあります。すぐそばで長い時間一緒に過ごしました。
もちろん歌もたくさん歌ってくれました。


[No.584] Re: 元気を呉れた「異国の丘」に大感謝! 投稿者:   投稿日:2011/01/31(Mon) 21:08
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> > >
> > > > この歌がヒットすると、いつしか電車の車内に傷痍軍人、たいてい二人組みが現れ、一方がアコーデオンで曲を奏でると、他方がこの「異国の丘」を歌う風景が全国の津々浦々、どこででも見られるようになった。その人たちは、手や足に『名誉の負傷』をしていて、見るからに痛々しかった。
>
> 歌はなんとかわかりますが、このような光景はわかりません。
>
> > > しかし
> > > 私の母は理屈ではわかっていても
> > > 人の集まるところにいるに傷痍軍人風の人たちに
> > > 寄付をしていました。

 戦災で無一文になったToshichan のような、人間と、戦災に無傷な人や、ヤミでぼろ儲けした
人とは、雲泥の差が有った時代やと、思いますわ。

> > >   その都度、母は私の顔を見ながら「やっぱりねぇ」と言いました。
> > >
> > > 彼らは実態は芸人だったのですが、当時の日本人の心をなぐさめてくれました。
> > >   セラピーと経済との調和していた微妙なひととき
>
> 母上は情の厚い方だったのですね。すばらしいです。
>
> >  ラジオに「お好み投票音楽会」というのが、週に、一回あり
> >  1〜10位の音楽を毎週ながしていました。
> >  「あこがれのハワイ航路」が1番の頃「湯の町エレジー」がその内
> > 1位になると、宛てたのですが、
>
> このような番組は知りませんでした。ラジオなどあまり聞いたことなかったです。
> 「あこがれのハワイ航路」って岡晴夫? ちがったかな? 歌っていましたっけ。
> この方にはお会いしたことがあります。すぐそばで長い時間一緒に過ごしました。
> もちろん歌もたくさん歌ってくれました。

 「あこがれのハワイ航路」や「湯の町エレジイ」は今も唄う人はありますが、
「異国の丘」はほとんど、無いようです。

 苦しかった時代を「思い出して」唄うというのが、正しいと考えると、
やっぱり、異国から、帰れた方の、絶対数が、少ないのが、本当に唄われる曲数が
少ない、理由だと、この、ツリーを読んで思った次第です。

                              Toshichan in Kyouto-fu